関大社会学部か

 図書館から岸政彦さんの「図書室」を借りてきて、読んでいます。

図書室

図書室

 

  表紙は淀川(?と思いますが、どのあたりの写真であるかわからずです。

表表紙は鉄道橋が、裏表紙は道路橋がうつっています。鉄道橋は、淀川橋梁と

いうものでしょうか。)の風景写真。東京であれば、荒川鉄橋の趣でありますが、

岸さんでありますから、大阪としか思えないことで。

 この本には「図書室」という作品と、「給水塔」という大学にはいってから大学

に職を得るまでのことを書いたエッセイ(書きおろし)が収録されています。

 表題作となる「図書室」は、50歳になる女性の主人公が、10歳ころに自宅近

くにある公民館の図書室で過ごした時に、出会った男児とのことを記したもの。

主人公が女性で、子ども時代回顧、それに猫との生活と当方のあまり得手でな

い要素で構成されていて、これはちょっと読むのに苦労しました。

 それとくらべますと「給水塔」のほうは、関西の私大、勤勉ではない学生、ジャズ

と当方とかぶる構成要素からできていて、これは楽しく読むことができました。

 岸さんは、次のように書いています。(岸さんが書いているのですよ)

「関大は、もっとも大阪らしい、庶民的な大学だ。実際に当時はアホの関大と言わ

れていた。いまではなぜか信じられないくらい偏差値があがり、雰囲気も激変して

いるらしいが、当時は大学の生協の売店にビールがたくさん並んでいて、朝大学

にいくと授業に出ずにまずここでビールを買って「一グラ」(第一グランド)と呼ばれ

ていた段々畑のようなところで座って飲んでいた。そしてその日一日を無駄にして

いた。」

 当方は、この大学ではありませんが1970年代初め頃の私大なんて、おおかれ

すくなかれそんな学生が大半をしめていたのではないかな。なかにはきちんと目的

を持っていた数少ない学生もいたでしょうが、当方はそんな学生とはほとんどつき

あいがありませんでした。

「一回生の終わりごろ、すでに留年しそうになっていて、冬の寒い朝、一限の必修の

語学の授業に出るために、阪急の千里線に乗っていた。一限からの授業は意外に

多くて、ほとんどサボっていたが、後期の終わりごろになると私のような切羽詰まっ

た学生たちで電車は一杯になっていた。」

 関大もそうでありましょうが、留年という意識はなく四年で卒業できるか、五年で

卒業するかという話で、留年だぶりとは考えず、毎年進級するような気分でした。

当方も一回生で10単位もとったかどうかでしたので、岸さんと同じようでありました。

当然、一限にある必修語学なんて、出席が足りずで落としてしまったのですね。

 とっても自分の子どもにしっかり勉強せいやなんていえるわけがないであります。

 当方の仲間には、高校同級の友人が関西大学社会学部に通っているという人が

いまして、その彼が関大へと進学した仲間たちと同人誌のようなものをやっていま

したので、関大社会学部のメンバーが参加している漫画研究会のことは良く耳に

しました。

 もちろんこれが「いしいひさいち」とその仲間たちでありまして、当方にとっては

岸さんが卒業した関西大学社会学部というのは、いしいひさいち「バイトくん」の

世界でありました。

 岸さんが給水塔で書いているのは、「バイトくん」に通じる世界でありまして、その

当時関西大学には鬼の谷沢永一がいて、その門下には浦西和彦さんがいたので

すが、これはまったく別の関西大学の話にしか思えません。

 それにしても、岸さんは1967年生まれで、当方よりも16年くらいも年少ですが、

見事な落ちこぼれぶりで、それにしてもよく更生(?)したものです。

社会学者としての岸さんにとっては、この落ちこぼれ時代の経験が生きていて、こ

れがエリート社会学者と岸さんの違いでありますね。

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