吉田健一さんの「金沢」は、なかなかページを稼ぐことができませんので、
すこし勢いをつけるために、「金沢」を手にする前に、それよりも読みやすい乙川
さんの小説を読むことになりです。
あわせて二冊読んでくだされという「二十五年後の読書」と「この地上におい
て私たちを満足させるもの」をぼちぼちと読んでいます。とりあえず本日に読んで
いたのは「二十五年後の読書」でありまして、こちらのほうが先に刊行されていま
した。当方の読む順番は、それと逆になりました。
どちらの作中にも小説を書く人が登場するのですが、「二十五年後の読書」で
は、小説家は主人公ではないようです。それでも、主人公の女性やその愛人(?)
となる小説家を通じて、作者の思いが吐き出されます。
「文学にしろ演劇にしろ日本の批評は甘いでしょう。大家と言われる人にも失敗
はあるのに遠慮して批判できない、質の点でも先人の作品に勝るものは少ない
というのにちやほやする、作家を傷つけたくないというより誉めることが評論家の
仕事になっている。・・・ 過剰に作家を持ち上げる書評、首をかしげたくなる賛
辞、なんの役にも立たない青臭い分析、作家よりも自身の優秀さを証明したいだけ
の鼻高な文章などがちらついた。」
作者の乙川さんは文壇というか、作家の親分、子分の世界と距離をおいている
ので、このようなことが言えるのでありましょう。書評などでべたぼめであったり
しても、それを鵜呑みにしないことが必要でありますね。
読んですぐに感動! するようなものは、碌なもんじゃありませんわ。