なんとかクリアかな

 本日は大震災から8年であります。当地はほとんど被害はなかったのです

が、津波原発によって、多くのものが失われました。失われた命は戻ってこず、

汚染された土地も、いつになったら従前に戻るのか、冷却汚染水も最後は海に

放流するしかないのではと思わせるような雰囲気になってきていますが、それは

ないでしょう。そのうちに原発推進の当事者たちはいなくなって、次の次の世代

は、なんでこんなことで苦労しなくてはと嘆くのでありましょう。

 本日に買い物に行きましたら、地元の金融機関が弔旗をあげていましたが、

これを目にしたのは、ずいぶんと久しぶりのこと、そのせいもあってか、同じ金融

機関の支店であっても、弔旗の掲げ方はちがっていました。本部はどのように

掲げるようにと指示したのかな。

 週末の読書として、乙川優三郎さんの「この地上において私たちを満足させる

もの」を読んでおりました。

 71歳になる小説家が、これまでの生活や住んだところと出会った人についてを

書きながら、小説家としての自分のスタイル確立の苦しさなどを描いたものとな

るのですが、さすがに山本周五郎さんを好きというだけあって、上品な仕上がり

となっています。

 作中にはフィリピンとかでの日々の様子が描かれ、このところの実際は、かなり

どろどろなものなのでしょうが、見事に上澄みのところだけをすくいあげています。

ちょっときれいすぎるかなとも思いますが、自分が経験した苦労をこれでもかこれ

でもかという風に書くのが小説ではないですね。

 この小説が、動きだすように感じる(あくまでも当方の感じ)のは、真ん中をすぎ

たところにおかれた「ジェシーのように」という章からでありました。そこには、次の

ようなくだりがありです。もちろん作中の作家さんの思いであります。

「書くべきことは鮮明に見えていたが、書くことは言葉との闘いであった。ひとつの

ほんの一瞬のことをどういう言葉で表現するかによって、まったく別の景色になって   

しまうからであった。想念の中に見えている世界をふさわしい言葉で表せたとき、

小説は立ってくる、それこそ万感を呼ぶのであった。

 月日ばかりが流れて、目に見える成果は微々たるものであった。これが高橋の

文体と呼べるものに中々ならない。変幻自在な日本語が魔物に見えて、畏れす

ら覚える。」

 小説家として生き残るというのは、いつもこうした魔物との格闘なのでありま

しょう。 

 この小説は、最後まで目を通してから、最初の章に戻りますと、なんと最初にわけ

わからずに読んでいたところが見えるようになっていて、それはその次も、その次も

であります。

 とてもよくできた小説でありますが、もうすこし毒があってもいいかと思うものの、

それは乙川さんのスタイルではないのでしょう。 

この地上において私たちを満足させるもの

この地上において私たちを満足させるもの