長生きはするものだ

 本日の新聞夕刊を見ていましたら、「長生きはするものだ」という言葉が目に入って
きました。この言葉があったのは映画評のところでありまして、評者は佐藤忠男さんで
ありました。
 「長生きはするものだ」というためには、いくつくらいになっていればいいのであり
ましょう。その昔であれば古希を迎えたら、いってもいいような感じであったかもしれ
ませんが、この時代であれば、古希をむかえたくらいで「長生きはするものだ」なんて
いったら、何をいっているのとなりますでしょう。
 もうひとつは、どういう状況にこの言葉を使えばいいかなであります。この言葉の
用法について検索をしてみましたが、これまでのところ、すとんとおちるものがありま
せんでした。
 そんなこともあって、佐藤忠男さんの短い映画評に感心したのかもしれません。
佐藤忠男さんは、1930年生まれとありますので、今年は米寿ということになるのでしょ
うか。まだまだ現役の映画評論家であるようです。
 今回取り上げている作品は、「スターリンの葬送狂騒曲」というイギリス映画となり
ます。スターリンというのは、かってのロックバンドではなく、USAメジャーリーグ
選手でもありません。本家本元であるソビエトロシアの指導者であります。
 スターリンが亡くなったのは1953年でありまして、当方は生まれてはおりましたが、
いまだおむつもとれておりませんでした。スターリンは神のような人であったのですが、
その座を追われたのは、亡くなって3年後に行われた批判によってです。
 今になってみると、スターリンは独裁者という評価が定着しているのですが、そのこ
とが一般化するためには、何十年もかかったようであります。
 独裁者、絶対的な存在が亡くなったことによって、まわりが右往左往するというのは、
人間社会において珍しいことではないものの、やはりその存在の大きいほど波紋も大き
いということになるようです。
 ソビエトロシアが、人間社会の理想郷と思われていた時代があって、その指導者が
神のように思われていて、そのことが否定され、ソビエトロシアが解体して、現在が
あるというのは、ほぼ佐藤忠男さんにとって身近に展開した歴史的事実でありまして、
まさかこのようなことになろうとはということも含めて、長生きはするものだであり
ますね。
 佐藤忠男さんより、さらに一世代上の人たちでありましたら、ソビエトロシアの崩壊
を受けて、自分の人生は何であったのかという感慨を持たれたかたも多かったようで
ありまして、その人たちにとっては、「長生きはするものだ」ではなく、すこし長く
生きすぎたようだとなるのでしょう。