やっと真夏日に

 気温が上がらないといっていた当地も、八月にはいって遅ればせで真夏日を記録し
ました。まずは扇風機をつかってクールダウンであります。
 図書館から借りていた本を二冊返却であります。そのかわりを借りようかとも思っ
たのですが、まずは長谷川郁夫さんの「吉田健一」を読んでしまわなくてはいけない
ので、しばらくはこれに専念です。
 ずいぶんと前から読んでいるのですが、なかなかページが進みませんです。いまだ
四分の一くらいのところですが、これまでで、印象に残っているのは横光利一に関し
てのところです。
 当方は、加藤周一さんの「羊の歌」で横光利一さんのことを知るのでありますが、
ここでは天下の一高生たちからつっこまれてたじたじとなる横光さんが描かれてい
るのです。この年になって読み返したら、いやな旧制高校生たちだなと思うので
しょうが、その時は、横光なんてたいしたことないんだと思ったものです。
 そのずっと後になって、篠田一士さんが横光の「旅愁」をおしていて、これを
読んだことがありました。とくにがつんとくることはなかったように思います。
 そんな横光でありますが、長谷川郁夫さんの「吉田健一」には、吉田さんの文章の
引用で、次のようにあるのでした。
「横光さんは小説家であるとか批評家であるとかいふことで一つの型に嵌まらない、
さういふ意味では恐らく鷗外以来の日本の文士だった。そして鷗外と違ってゐる点
でここで重要なのは横光さんが近代の文士だったことである。」
 昭和11年頃の横光について、中山義秀の文章も引用されていました。
「横光は当時、文壇を独走してゐた。彼の書くものは創作であれ評論、感想の類で
あれ、諸誌からひっぱりだこにされ、それ等が発表されると忽ち衆評の的となり、
すこし誇張した言ひ方をすれば、他の諸作家はあれども無きがごとき現象であった。」
 横光利一ときいて、こういうふうに受け取ることができる人は、今の時代にはほとん
どいないでありましょうね。