どうなとなれ

 矢野誠一さんの「女興行師 吉本せい」を読んでおりましたら、富士正晴さんの本
が気になってというのが、昨日の話題でありました。
 富士正晴さんのある時期に買い集めていたのですが、読む事ができなくて、買った
だけというものもありまして、何があって、何がないのかもわかっていなかったりで
す。矢野誠一さんの本で取り上げられるのは、富士さんの「桂春団治」ですが、それ
に登場する「桂小春団治」についても言及されていました。
 「桂小春団治」という人は、後年には落語家をやめて踊りの世界で生きることにな
るのですが、富士さんは、春団治についての本を書くようになって、かっての
小春団治さんで、舞踊家 花柳芳兵衛と近しくなったようです。
 当方は花柳芳兵衛とあるのを目にしても、まったく何も頭に思い浮かばないのであ
りますが、富士さんの文章には次のようにありました。
「世の中が上向きになるのと同じく、花柳流の師匠としての彼の位置も生活もいろい
ろ経緯はあったが、安定して行き、後援するものもあり、民間放送が発展すると、彼は
毎日放送の『素人名人会』の審査員として踊りの部を担当し、テレビ画面を通じて人々
によく知られた。新聞社の芸術賞や、地方自治体の芸術賞をいくつか受けた。」
 富士さんの作品集「どうとなれ」に収録されている「花柳芳兵衛・母恋」からの引用
となりです。

 本日になって物置においてある書棚を見に行きましたら、ここに「どうなとなれ」の
元版がありました。この本も買っていたのでありますね。
 この元版を手にして奥付を見ましたら、これは昭和52年6月15日初版発行とあります。
41年ほど前にでたのですが、当時26歳でありますから、この年齢でこの内容というの
は、いくらなんでも青すぎるか。
 この本を刊行した時の富士さんは64歳くらいでありますので、40年寝かせておいて、
この年になって読んだほうが、富士さんの気持ちが分かるような気がします。
 次は「桂春団治」を探しださなくてはです。たしか数年前に京都の古本屋さんで
講談社文芸文庫のものを買ったと思うのですが。