時間を作って

 相変わらずで正月のやり直しのような日々であります。旧正月にはまだだいぶん
ありですが、まあ二度目の正月かな。明日の朝はお雑煮をいただくことになっている
のです。
 本を読む時間を見出すのがたいへんであります。それでもなんとか時間を作って
図書館から借りている本を読み継ぐことになりです。そのうち「古都の占領」が面白
くて、これは借り出しを延長して、読む終えるようにしたいと思っています。
 たいへん興味深い内容になりますが、それについては、次のように書いてありまし
た。
「住民たちが政治を観察するしたたかな視線に教えられ、きびしい状況をくぐりぬけ
て生き延びた身の上話、権力をみごとあざむいた自慢話等を屋外調査でたくさんきい
た後だったので、記憶や証言の裏づけが欲しい、あるいは本当はどうだったのかでき
るだけ知りたいという思いを支えいして、膨大な行政文書を読んだ。」 
 それまでいろんな人から聞き取りを行って占領期間における京都の市民生活を記録
していたわけですが、それと京都府庁と占領軍の京都軍政部と終戦連絡京都事務局が
遺した文書の付け合わせを行っていくことになります。
 なんとなくジグソーパズルのようでありますね。いったいどのくらいの人から聞き
取りをしたのか、文章を読んだのでありましょう。
 本日に読んだところで、目についたくだり。
「卵売りの少女は短時間の訪問であるにもかかわらず、『進駐軍』将校の家族用住宅
で日本人のメイドたちが働き、日本人の美容師も出張してきている、と観察している。
植物園内は小さくとも学校、消防署などがあるひとつの町であったのだから、行政事
務の仕事もあったはず、事務所には英文タイプを打つことができる女学校卒の日本人
女性たちが雇用されていた。当時、戦争未亡人と呼ばれた、夫が戦地から帰還しな
かった女性たちの職場になっていた。」
 京都の府立植物園ですが、ここの占領軍の家族用住宅があったことは、まるで知りま
せんでした。何度も府立植物園へはいっておりますが、それをいまに伝える痕跡はある
のでしょうか。
 家族用住宅には、日本人メイドがいたのですが、そこにも女学校卒で、夫が戦地から
帰還しなかった女性が勤務していたと思われるのですが、この条件にぴったりとあて
はまるのが、作家 長谷川四郎さんの夫人でありました。働いていたのは神奈川であり
ましたが、津田塾をでて、英語が堪能でしたので、まさに夫の帰還を待つ間の仕事と
しては、将校と家族が良ければ、とても恵まれたものであったのでしょう。