さきほどネットを見ていましたら、「評論家・西部邁さん死去」の見出しが目に入り
ました。
どうやら自死のようでありまして、どのような背景があったのかはわかりませんが、
なんともショックなことであります。
先日まで読んでおりました中村とうようさんも、ほぼ同じような年齢で自死でありま
して、生きるには70代後半に大きなハードルが存在すると思ってしまうことです。
西部邁さんの著作にはほとんどなじむことがなかったのですが、北海道出身というこ
ともあって、気になる人でありました。学生時代には60年安保に関わって有名になり、
その後は保守の論客として活動を行っていました。
1960年の頃でありますので、北海道から東京大学へ進学するというのは、うんと特別
なことであります。親が大学教員とかエリート階層の子弟というのであれば、なるほど
でありますが、どこの馬の骨であるかわからない子どもたちには、東京大学ははるかに
遠いことでありました。(今もまだそうなのかな。)
たとえば、どこかで軌跡がクロスしそうな横路孝弘さん(1941年1月生まれ)と西部
邁さん(1939年3月生まれ)を比較しても、西部さんの生い立ちの普通ぽさに、親近感
を感じることであります。
もうひとつ、なぜか横路さんは北海道で人気はあるのですが、西部さんはまるで人気
がなく、当時メジャーであった左翼の人々との間に距離をおくためには、西部さんの本
を座右に置いて、頭を冷やすのもよろしいかと思いました。
そんなわけで何冊か購入したりしたのですが、これはさっぱり身につかずでありまし
た。
読んで一番いいなと思ったのは、西部さんの中学校時代からの友人とのことを書いた
「友情」という一冊でありまして、これはまだ貧しかった時代の地方都市 札幌の公立
中学校ではぐくまれた、秀才と勉強はできるのに道をふみはずす友人の物語であります。
友情ある半チョッパリとの四十五年 (ちくま文庫 に 3-3)
- 作者: 西部邁
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特別な学校へ進学というのが定着すると、秀才たちはこのような出会いをする可能性は
著しく低くなることです。
そうして育った優等生たちが、お医者さんなどになって普通の病院へと勤務したり
すれば、こんなとんでもない人がいるのかということでカルチュアショックを受けるこ
とでありましょう。どんどんと無菌社会というか、温室化していることです。
この本などをみますと、西部さんは社会の階層化に危機感を抱いていたのでありま
しょうか。