岩波「図書」11月号から

午前中からMLBシリーズの試合をみながら、紅玉りんごの皮むきをやっておりました。
大きな袋にはいった規格外(ちょっと小さめなもの)のりんごは32個でありまして、
これをタルトタタン用とアップルパイ用に加工するのですが、これだけの数でありま
したら皮をむいて、きざむだけでも一仕事となります。本日のMLBの試合は、5時間を
超える熱戦でありましたので、その間中、りんごを相手にしておりました。
 夕方には、本日のりんご作業を終えまして、わが家流のタルトタタンが完成となり
ました。本日は冷蔵庫で休ませて、いただくのは明日以降のこととなりです。
(飴色になったりんごは、サブレの下になっていて見えないのが残念です。)

 この作業をしている時に、郵便受けに、何かが届いた音がして、これは本日のことで
ありますので、岩波「図書」であろうとあたりをつけましたら、そのとおりでありまし
た。
 このところ「図書」は、いつも編集後記「こぼればなし」から見るのでありますが、
本日はたまたま表紙をめくったところにおかれているコラムに「笹山隆」さんの名前
を見つけて、まずはそのコラム「墜落するオセロー」読むことになりました。筆者は
安達まみという英文学者で、現在は「日本シェイクスピア協会」の代表を務めている
方とありました。
 シェイクスピア生誕450年(2014年)、没後400年(2016年)などを記念する学会や
公演などの時に、日本シェイクスピア協会の中心人物の一人である笹山隆先生からお聞
きした先生が旧制中3年の時に目にした光景のことを、安達さんは「墜落するオセロー」
として書き残しているのですが、ご本人は、これにつながる話を書いているだろうかと
笹山さんの私家版「甲山日記抄」(2001年 冬扇社)をひっぱりだしてきました。
 この私家版は、笹山さんが古希を迎えたのを機にだされたものですが、でた当時に
毎日新聞書評欄で取り上げられたことによって、この本の存在を知り、入手すること
ができたものです。
 それからずいぶんと時間が経過して、この本を書いた時の笹山さんの年齢に、大分近
づいてきましたです。この本のなかから、戦時中の記憶について書いたところを引用で
あります。
「二十世紀の七十年は確かに長い道程ではあったが、行き着いてみれば、意外に短い。
とりわけ、現在の瞬間に突如として半ば忘れ去られた過去が重なってくるピンター的
感覚に慣らされたここ二、三年は、記憶の時間の奥行きが曖昧になり、すべてが頭の中
で入子細工化されてしまった感がある。
 神戸のルミナリエに出かけた夜も、目眩く光のアーケードを通り抜けて、薄暗い路地
に折れた瞬間、私はビルの谷間の空に、交叉する探照灯に照らし出されたB29の不気味
に膨らんだ胴体を幻視した。それは終戦直前の阪神大空襲の夜、目の当たりにした劫火
の燃えさかる地獄絵の一部なのだが」
 安達まみさんが話題とするのは、阪神大空襲の時に笹山さんが目撃した火の粉を撒き
散らしながら落下していくB29と、その前夜に笹山少年が読んでいた坪内訳「オセロー」
のことでした。