懸案に着手

 しばらく前からやらなくてはいけないと思っていたことに本日取りかかりました。
といってもたいした話ではなく、20年近くも使っていたガラケーから格安スマホへの
完全移行手続きであります。
 これまではガラケーを保持しながら、格安SIMでテータ通信のみをやっていたので
すが、ガラケーの契約期間が切れることや、ガラケー本体がぼろぼろとなってきたこ
とから、ここらが潮時と思ったものです。
 モバイル電話の店舗にいくことなしに、手続きをするのですが、電話とネットを
通じて行うためには、IDとかパスワードを求められるのですが、20年近くも前に、
そうは思わずに設定したパスワードは忘れてしまっていますし、けっこう敷居が高い
ものでありました。
 とりあえずなんとか手続きは終わったようでありまして、あとは新しいSIMが届く
のを待つことになり、それが届いたらスマホに挿して、うまく動きましたら、OKと
なりです。これまでデータSIMが使えていたのですから、音声SIMも問題にはなりま
せんでしょう。
 ということで、これが終わりましたら、すこしほっとしたことで、気分を良くして
ブックオフへとでかけることとしました。
こういう日でありますので、思いがけずに収穫があったりしてと期待したのですが、
そんなことはなくて、古い文庫本三冊をなんとか確保です。
うち一冊は、これまでこれには手をだすまいと思ってきた池波正太郎の「散歩のとき
何か食べたくなって」であります。

散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)

散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)

 この手の本は、年を取ってからからでも読むことができるだろうから、まだまだ自
分には早いと思っていたのですが、すこし煮詰まってページを稼ぎたいと思った時に
は、この手の本が一番です。
 池波正太郎といえば、高齢の作家さんと思っていましたが、この本を書いた時は
まだ五十代で、現在の当方よりもずっと若かったとは驚きです。
なかをぱらぱらとのぞいてみましたら、まずは京都と大阪の散歩のページに目がいき
ました。
 この中から「京都・寺町通り」のくだりから引用です。
「現在でも、御所の傍あたりから北へすすむにつれて、かなりの寺院が残ってい、む
かしの面影を偲ぶことができる。
 本禅寺、清浄華院、廬山寺などの寺院や立命館大学の間に、大久保利通の寓居址や
新島襄の旧宅が在って、この物静かな道には、いまも、あまり車輌が通らず、私の
好きな散歩道なのだ。」
 この本がでたのは1977(昭和52)年とのことでありますので、それから40年。姿を
消した店があれば、街も変わったことでありましょう。それでも上に引用した寺町通
りは、良い散歩道であることにかわりありません。