やはり女性のものに

 数日前から手にしている本も、女性によって書かれたものでありました。
「捨てる女」内澤旬子さんによる「世界屠畜紀行」の角川文庫版であります。買った
のは、ずいぶん前のことになるのですが、やっとこさ読み始めました。読みやすいも
のですから、ページはぐいぐいと進むはずですが、二日くらい手にしていて、いまだ
130ページです。

世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR (角川文庫)

世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR (角川文庫)

 この本が書かれるようになった理由は、前書きにかかれています。
「そういえば、いつも肉を食べているのに、『肉になるまで』のことをまるで考えた
ことがなかった。日本ではどうやっているんだろう。・・テレビでは動物をつぶす場面
が出てくることはまずない。それどころか屠畜について書かれた本はほとんどない。
・・このような状況は、日本でこの仕事にかかわる人々が、ずっと昔から差別を受けて
きたことと、深く関係しているんだということはわかっていた。・・けれども、日本人
が肉をおおぴらに食べられるようになって、もう150年も経ってるんだもの。いい加減、
忌まわしいだの穢らわしいだの思う人も減って、私のようにどうやって肉を裁いている
のか、単純に知りたいと思う人も、それなりに増えてるんじゃないだろか。・・
 という疑問を持って、海外の屠畜現場を訪ね歩くようになった。・・文化や経済状態、
地理条件を異にする各地域で、今、肉はどのように屠畜されているのか、そして当事者
や周囲の人間が屠畜という行為をどう思っているのかを、できる限り聞きまくってき
た。」
 当方が子どもであった頃のことですから、いまから55年くらい前に住んでいた北海道
の田舎では、屠畜場というのは、小さな村にもいくつかあったように思います。
当方がその地域の小学校から転校することになったとき、同級生の一人が餞別かわりに
といって、屠畜場からもらったという牛の角をプレゼントしてくれました。
同級生の彼にとっては、屠畜場というのは、近所の遊び場であったのでありましょう。
 大きな動物は、そこで処理されていたようですが、羊、うさぎ、鶏などは、そこに
持ち込まれることはなしで、庭先で肉になっていました。
 数か月前にTVで見た知床に住むプロの猟師さんは、自分で仕留めた大鹿を、ナイフを
使って解体していまして、その様子が映像となっていました。
 最近は、人が自宅で自然の内に亡くなるということが少なくなりましたが、それと
同じで、食肉となる動物がなくなっていく過程が見えなくなっているようです。