本日は打ち合わせに

 四月から週一回パート勤務にでることになりまして、本日はそのための打ち合わせ
でありました。無職生活を二年間続けましたが、週に一回は仕事場へと出かけること
になりそうです。
 週一回で短時間でありますので、生活のスタイルはほとんどこれまでとかわらずで
ありましょう。そうはいうものの、大相撲の本場所の時期にあっては、ほとんど毎日
13時からのNHKBS放送を見ておりましたので、これからはほぼ毎日13時からとはいか
なくなりますね。これはすこし残念でありますが、ちょっとはまり過ぎていたようで
ありますので、これを機に距離をおくことにいたしましょう。
 本日は、最近に入手した「田中克彦自伝」を読んでおりました。最初に手にしてか
ら、10日以上も経過しているのに、いまだ百ページあたりというていたらくです。

 田中さんは1934年生まれでありますから、当方の17歳年長とあります。生まれは
兵庫県養父市八鹿町だそうです。中国山脈の北側、豊岡市に近いあたりとのことで
すが、当方はいまだ、そのあたりにいったことはなく、まったく土地勘はありませ
ん。
 高校入学して一学期で東京の高校に転校するのですが、それまで暮らした八鹿町
の日々は、田舎で暮らしていた当方の子ども時代と重なるところが多くて、このとこ
ろを読みますと、当方はずいぶんと昔の生活環境のなかで成長したのだなと思ったこ
とです。
「今の人には想像がつかないだろうが、まず水汲みである。井戸からつるべで水を
汲みあげ、その水をバケツに汲みとり、炊事のための水槽に、また風呂をたく日は、
風呂場まで運んで満たさねばならなかった。両手に水を満たしたバケツを持って運ぶ
ことは、ぼくには重労働と感じられた。」
 当方と同年代でも町で暮らしていた方は、住まいまで水道がひかれていて、蛇口を
ひねれば水はでてきましたでしょう。農村地帯には水道はありませんので、住居ごと
に井戸がほられ、つるべもしくは手押しポンプが設置されていました。
 当方が住んだところは、何軒かで共同で使用する給水用の手押しポンプがありまし
て、そこまで水汲みにいくというのは、子どもたちの役割になっていました。
汲んだ水は、台所に置かれた桶にいれて、洗い物や煮炊きにつかうのですが、最低
ブリキバケツに二つは必要で、それを手に提げるか、てんびんで運ぶのでありました。
半世紀以上も前のことになりますが、てんびんを肩にかけてバケツで水を運んでいる
子どもは、田舎では普通のことでありまして、その様子は田中克彦さんの子ども時代
に同じでありました。