どれなら読めるか

 なかなか読み通すことのできない小説の場合ですが、これなら読めるかもしれない
と思って、いくつかの版本を購入することになりますね。
翻訳小説の場合でありましたら、単に版型だけでなく訳者が変われば読めるのでは
ないかと思うことです。
 このままずっと未読で終わるのではと思うプルーストの「失われた時」の場合で
ありましたら、筑摩の文学全集の個人訳で揃えて、さらにそれがちくま文庫となった
のときに全巻買ったのですが、ずいぶん昔にコンブレー1の「紅茶にマドレーヌ」の
ところまででとまりました。この時に手にしていたのは、筑摩の文学全集版でありま
して、あれで読み進むのは無理と思いました。それじゃちくま文庫ではですが、あれ
ではまったく読んでいないのです。
 とりあえず、機会があれば「失われた時」は読みたいと思っていますので、現在刊行
中の岩波文庫版もせっせと買い続けています。次に読んでみるとすれば、この版となり
ますでしょう。
 それで「神聖喜劇」であります。
神聖喜劇」の最初の版は、光文社の「カッパノベルス」でありました。当方の手元に
は古本で購入した、これの端本が三冊ほどあります。第一部がでたのは昭和43年でした。
当方は、いつころかこれを読もうと思って、カッパノベルスを手にしたのですが、この
小説には、早い段階でかなり高い壁がありまして、その昔に、この小説を読んでいたと
いう知人と話をしたときに、同じところでギブアップとなったことがわかり、やはりと
思った記憶がありです。
 結局、このカッパノベルスは、全巻をそろえることもなしで、完全版となった光文社
からの単行本全四巻(1978年刊)を購入し、これをねかせてきたわけです。
このあと文春文庫、ちくま文庫と刊行されて、光文社文庫というのが、いま一番入手し
やすいものとなっています。
神聖喜劇」の文庫本は、これまで買っておりませんので、つまみ読みをするためにも
文庫本の入手は欠かせませんです。いろんな版本を買い求めたとしても、最終的に読む
ことができればもうけものであります。