本日は「FAKE」へ

 この町のミニシアターで上映の森達也さんの「FAKE」が、本日最終日ということ
で、見物にいってきました。( http://www.fakemovie.jp )
 お客は、当方をいれて2名。これはもったいないことと、友人に本日までだから
是非とも見たらよろしいよと連絡をいれましたところ、別の友人からは見るに値し
ないという話を聞いているがと返事が戻ってきました。
 皆が絶賛するようなものは、当方の好みではありませんので、これでよろしいので
ありますね。ドキュメンタリー作家の森達也さん久しぶりの新作でありますし、取り
上げられているのは、一時期大変話題となった佐村河内守さんでありますからして、
当方の興味がわかないわけはなしです。
 佐村河内さんという作曲家を、はじめて知ったのはNHKのドキュメントで紹介され
ていたことによります。どういうタイトルのものであったのか忘れてしまいましたが、
ずいぶんとうさんくさい人であるなというのが、それを見ての当方の感想です。
 その後、作品を録音したCDが売れに売れ、交響曲の演奏会が開催されるようになっ
たところで、別の作曲家による代作ということになり、一気に墜ちた偶像となった
わけです。
 あまり内容のないことなどをていっぱい持ち上げて、そのあとで思いっきりはしご
を外し、むち打つというのは、大衆社会の病理のようであります。
メディアは大衆が喜んで飛びつくものはないかと日々リサーチを重ね、養殖生け簀の
魚に餌を与えるがごとくに提供される情報であります。こんなもんにだまされないぞ
と思えば、相手にしなければよろしいのですが、世間のほとんどは、だまされること
を楽しんでいるようですから、難しいことであります。
 少なくとも現代日本の芸術系音楽に関してでありましたら、武満徹さんの作品など
を物差しにして、仕分けていくというやり方をとるべきでありますでしょう。(あま
りあたりまえすぎて、いうもおろかですが。)
 佐村河内さんの作品といわれるものは、残念ながら芸術音楽としての仕分けに耐え
るものではなかったでしょう。壮大な古典様式の大衆音楽としてならば、存在の場所
はあったのかもしれません。( たとえば、ゲームの音楽とか )
 こんな人を、どうしてこんなに持ち上げてしまったのだろうかという思いが、われ
われのなかにはないのでしょうかね。
最近の選挙の結果を見るにつけても、佐村河内さんのことを、こんなにもいうのであ
れば、それに類した話は、あちこちにありそうですから、そちらはどうなるのかと
思ったりもします。佐村河内さんについての叩きはOKで、ほかの人については、どう
してでてこないのであるのか、なんてことを、この映画を見て感じましたです。