本日もつまみ読み

 いきあたりばったりの読書でありますが、本日も山辺健太郎さんの本などを手にし
ていました。山辺さんは運動家でありまして、二十歳そこそこからあちこちの労働運
動にオルグとしてかかわっていました。
 時代は1920年頃のこととありますので、これはそろそろ百年も前のこととなります。
この時代に労働現場のことを、当時の労働運動のリーダーの一人である西尾末広
自伝「大衆と共に」によって記しています。
「ある日、西尾が住友製鋼所だったかに出勤しようとして工場の近くまで行くと、
道具箱をかついで同僚が帰ってくるのに出会ったので、どうしたのかときくと、いま
工場長と談判したが負けた、しゃくにさわるのでもうやめて帰るところだ、という。
・・・西尾の勤めていたような近代工業の工場でさえ、その労働者の気分がこんな
具合ですから、中小工場などではそれ以上にひどくて、ストライキをやるよりも、
おやじの頭をなぐってやめるのが、あたりまえでした。とにかく、西尾末広のような
労働組合運動の先覚者がいたから組合もでき、ストライキもやれたのだと思います。」
 こんなところで、西尾末広さんの名前をみるとは思いませんでした。
当方が知っている西尾さんは民社党の党首で、なんとなくうさんくさい政治家という
雰囲気を感じたものですが、したたかなたたき上げの人でありました。
 山辺さんの本からの引用を続けます。
「そんな状態ですから、手工業時代のままの無自覚なことではだめだ、労働組合
つくって、やらなければと、いい年をしたおやじたちをつかまえて、はたち前の、腕も
ない、なんでもないやつがお説教をするのだから、とうてい聞き入れられるはずはない
のですよ。」
 今から百年ほどまえに労働組合をつくるべく奔走をしたという話ですが、山辺さんは
もちろん、党派的な思惑があってのことでありました。