昨日に池澤夏樹さんが岩波「図書」11月号に寄稿した文章のことを紹介しました
が、そういえば各社から届く雑誌が手元にありました。
いつもの月でありましたら、この雑誌のなかから話題をいただいて、お茶を濁すので
ありますが、今月はそれをやっておりませんでした。
本日の件名は、「図書」11月号の高村薫さんのタイトル「2015年秋を記憶する」
からのいただきです。
ここ数日、日本語に翻訳すると「それは2015年だから」というメッセージが話題に
なっていますが、こちらの「2015年」と、高村さんの「2015年」というのは、ずいぶ
んと違っていることです。
先日にTVを見ていて驚いたのは、トルコ大使館の前で在外投票に集まったトルコ系
とクルド系の人たちが乱闘騒ぎになったことと、クルド系のコミュニティができてい
るということを知ったことです。
ちょっと前にTVで、成田空港で外国人にインタビューする番組を見ていたときに、
国内に居住するクルド系の人が、地元からくる両親を出迎えるというシーンがありま
した。両親との再会は、二十数年ぶりというようなことがいわれていたように思いま
すが、ここにも国家と民族の問題がありです。
たぶん世界のどこにも単一民族国家というのは存在しないはずでありますが、この
国には単一民族純粋国家願望をもつ人が数多く住んでいるようです。2015年というの
は、あちこちで国が崩壊して、次の戦争を引き起こさないためには、難民を受け入れ
ざるを得なくなる年と記憶されるのでしょう。
「2015年だから」といったカナダの首相は、一流のパフォーマンスであるのかもし
れませんが、もともと他民族国家の指導者としての認識を示したに過ぎないのでしょ
う。