海を渡った芸人

 今回の鈍行旅行のお供となったのは、次の本でありました。

 新潮文庫の新刊で、字が大きくて、中身も面白くて、旅のともには最適の一冊で
ありました。
 当方は大島幹雄さんの著作に関心を持っておりまして、これの元版がでたときに、
これの存在に気づいていなかったのが不思議なくらいであります。版元が当方には
あまりなじみのないところであったからかもしれません。
 この文庫本の帯には、次のようにあります。
「 芸という命綱だけで歴史の波乱を渡り切った男たちがいた!
  革命も粛清も生き延びようとした日本人たちの物語 」
 この本の扉の裏には、次のことばがありです。
「 あの三枚の写真と出会わなければ、この物語は始まらなかった。」
ということで、ロシアの元道化師で、サーカス研究家から三枚の写真を見せられます。
これに写っている「イシヤマ」「タカシマ」「シマダ」というサーカス芸人を追って
の旅がはじまります。
 この三枚の写真は、いずれも明治の頃に海外で活躍したサーカス芸人であるらしい
とのことですが、日本の芸人さんでは、いち早く海外にでたのは、曲芸師さんであり
ました。
 大島さんの本でも冒頭で取り上げていますが、安岡章太郎さんに次の作品がありま
す。 30年も前に発表された小説で、いつか読もうと思っていたのですが、こういうところ
できっかけをあたえられるとはです。この文庫本の裏表紙には、このようにあります。
「慶応2年10月から明治2年2月まで、高野広八以下18人の曲芸師たちは米欧各地を
巡業した。アメリカ大統領の謁見を受け、パリで万国博の最中に公演し大入り満員、
ロンドンでは女王までが見物。しかし、スペイン革命にぶつかり、パリへ戻って幕府
瓦解を知る。広八が残した日記をもとに、旅芸人のしたたかさ、動乱期の世相を鮮や
かに描く。」
 曲芸というのは、言葉にたよらない表現ですから、世界のどこにいっても通用した
わけです。この曲芸団が大きな成功を獲得したことにより、日本の曲芸師に、世界の
注目があたったといえます。 
 とにかくその当時の日本の曲芸師たちは、世界でもトップクラスの芸を披露して
いたとのことです。大島さんの本には、この中で紹介されている「シマダグループ」
の芸をアップしてあるので、それを見てほしいとありました。
 まずはそれをみてみましょう。