旅のとも 2

 今回の旅に携行した高田宏さんの「われ山に帰る」を話題にします。

われ山に帰る (同時代ライブラリー)

われ山に帰る (同時代ライブラリー)

 高田さんが担当した作家 小山勝清さんについてでありますが、ウィキペディア
見ましたら、この人については、次のようにありました。
「小山 勝清(おやま かつきよ、1896年3月29日 - 1965年11月26日)は熊本県球磨郡
四浦村晴山(現・熊本県球磨郡相良村)出身。作家。
『小山』の読みを、東京では『こやま』、熊本では『おやま』で通した。」とありま
す。この本の冒頭で、高田さんは「こやま かつきよ」とふりがなをふっています。
高田さんは東京で接しているわけですから、とうぜん「こやま」となります。
 生まれたのは山間の集落で、父親は村で医者をしていたとのことです。明治29年
時に、この地で医師をしていたいうのですから、父親もよほどにかわっていたので
しょう。高田さんは、この相良村について、次のように書いています。
「幕藩時代に相良藩が占めていた九州南部のこの盆地と四国の山々は、いわばどんづま
りの土地であった。他国から、人も物もここに入って、ここを終点とした。・・・
他国からの移住者が山のかげにかくれて、ひっそりと、おだやかに生きていける土地で
あった。百姓も町人も、多くは元をたどれば移住者である。他国者が落ちあって住む
『よそものの世界』であった。」
 もともと父親は、幼いころから家業である医術を学ばせられたのですが、医術は性に
あわないと家をでて、もっと大きなことをといって鉱山をみつけて事業をおこそうと
いうことで、球磨の山中を転々とし、体調を崩したところで世話になった人から、
医術への心得があることを見込まれて、医者を業とすることになったとあります。
今から150年も昔のことであります。医学を学べる学校はほとんどない時代でありまし
た。