本日手にした本 2

 本日も高田宏さんの「編集者放浪記」から話題をいただきです。 
 高田さんは1932(昭和7)年生まれですから、ことし83歳となります。
 編集者としてのスタートは光文社で少女雑誌を担当、ここに6年9ヶ月、それから
アジア経済研究所で2年間、最後となったのはエッソ・スタンダードオイルのPR誌
の編集者でありました。エッソには20年間いて、これで編集者はやめてしまうので
ありますからして、「放浪記」というほど転職はしていないかもしれません。
「編集者放浪記」には、「喧嘩」という章がありまして、編集者が著者や画家から
いやがらせを受け、腹に据えかねるという様子がかかれています。
「『少女』編集部にも、卑屈こそ武器とする編集者はいた。相手がはたちにもなら
ない漫画家でも、その男が売れっ子であるならば、はた目にも見えすいたお世辞を
繰り返し、彼の仕事場では小間使さながらにまめに動き、漫画家の青年がベッドから
足をひょいと前にだせばすかさず靴下をはかせてやる。漫画家の引越しのときには、
編集部で全部やりますといって、約束をしてきてから私たちに某月某日日曜日の引越
し作業員をたのんでくる。私は即座にことわったけれども、出かけた行った人もい
る。」
 編集者といってもサラリーマンであります。小さな組織で「即座にことわる」と
いうのが、どれほど大変であることか。優柔不断な当方などは、予定があるときは
別として、しょうがないなといって、休日返上で手伝いへといくでありましょうね。
「私はもともと喧嘩っぱやくて、そのため酒場での失敗もいろいろあるのだが、編集
者商売ではずいぶん我慢をしてきた。多くの編集者がそうだろう。編集者がよく酒を
飲むのは、我慢のうさばらしということもある。飲んで荒れるのは、みっともない
ものだが、それも仕方のないときがあるものだ。」
 著者との関係で編集者が苦労するのは、流行作家だけでなく、学者さんについても
同様であるようです。
「誤解があるといけないので、ここに注記しておきたのだが、著者と編集者は敵対
関係にあるわけではない。この章に書いてきたのはむしろ例外に属するほうで、
もともと著者と編集者は協力関係にある。その協力がうまく行っているときには、
予想ができなかった、いい原稿が生まれる。編集者に予想できないだけでなく、
著者にも予想できなかったものが生まれてくる。そういうときに喜びは格別である。」
 まさに、編集稼業の光と影であります。