西江雅之さんを悼む 2

 「西江雅之さんを悼む」というのは、新聞に掲載の金井美恵子さんの文章によりま
す。当方は、読者歴こそ40年超えと長いものの、よい読者ではありませんでした。
 西江さんは、最近よく眼にする言葉でいいますと「異能の人」と思われるところが
ありまして、こうした生き方ができるのが才能と思われます。
 昨日に、すこし本を探してみましたら、次のようなものがでてきました。(まだまだ
あるはずですが、購入リストにはあるものの、どこにあるか、いまはわかりません。)

花のある遠景―東アフリカにて (1975年)

花のある遠景―東アフリカにて (1975年)

どうして西江さんのものを手にするようになったのかは記憶にないのですが、仕事で
も現地調査でもなく、普通にそこで生活をしている旅人のエッセイ集であります。
 これに収録の文章は1971年におきた出来事で、その年のうちに書かれたものだそう
です。文章の初出は、雑誌「面白半分」とあります。
 下にあります「サルの檻、ヒトの檻」は、生徒役を吉行淳之介さんがつとめたものと
なりますが、西江さんの文章がはじめてのった「面白半分」は、吉行編集長時代のもの
と、吉行さんが「サルの檻、ヒトの檻」のあとがきで書いています。
 この吉行さんによるあとがきは、とても良いので、まずは、これを紹介です。「このレクチュア・ブックで、なにか生徒の役を引受けてほしい、と正津勉氏に以前か
ら言われているうち、ふと西江雅之氏のことを考えた。八年前(1972)、雑誌『面白
半分』の創刊号から半年間、私はその編集長をつとめたが、そのとき西江氏に『マチョ
イネ ひとに出会う』という連載をしてもらっている。『マチョ イネ』とはスワヒリ
語で『四つの目玉』つまり『眼鏡をかけている人』という意味だそうで、アフリカ奥地
での交友記のようなものだが、ずいぶん型やぶりな人という印象を受けた。
ああいう人物に、文化人類学の講義をしてもらったら、難しい厄介なはなしに弱い私に
も理解できるのではないか、とおもわれた。」
 上にひいたのは、「講義を受けて」という吉行さんによるあとがきの一部です。
「面白半分」という雑誌がきっかけとなって、西江さんが知られるようになったといえ
るでしょう。 
異郷の景色

異郷の景色

貴人のティータイム

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