幻の2作

 昨日の朝日新聞に「丸谷才一全集に幻の2作」という囲み記事がありました。
「作家丸谷才一の『全集』の最終12巻に、これまで単行本になっていなかった初期
の小説2作が収められることになった。読者の目に触れることがほとんどなかった
『幻の作品』だ。匿名で書いた新聞や雑誌のコラムも収録する。
今後の丸谷研究における貴重な資料になりそうだ。」
 囲み記事の冒頭の部分を書き抜くと、上のようになります。すくなくとも丸谷研究
をしようという人が、あの全集くらいの資料でよしとするかどうかでありまして、
あの全集程度の資料でしたら、学部の卒業論文としても物足りないのではないで
しょうか。
 当方は、このような作品があることは承知していなかったのでありますが、
「芸術生活」というそこそこの雑誌にのっていたとすれば、「幻の作品」というのは
大げさではないでしょうかね。ほとんど残っていない同人誌に掲載の作品とか、未発
表の習作というのであればそそられるものですが。
 この囲み記事の終わりには、文芸春秋社の文芸担当取締役のコメントも掲載されて
いるのですが、これって最近の文藝春秋社と朝日新聞のバトルの水入りを伝えるもの
でしょうか。(そのようなかんぐりをしていたら、本日の朝日夕刊には、新潮文庫
創刊100年という記事があって、ここには文庫記念復刻版の紹介がありです。
そういえば、新潮社も週刊誌の広告掲載で朝日と関係が悪化していたのでした。
あまりにも、タイミングがあいすぎていないかな。)
 それはそれとして、「幻の2作」が掲載された雑誌「芸術生活」であります。
これを刊行していた「芸術生活社」というのは、いまもありますね。宗教団体がス
ポンサーとなっている出版社であります。いまは雑誌「芸術生活」というのは、廃刊と
なっているのでしょうか。
 「芸術生活」というと、数日前まで話題としていた古山高麗雄さんが編集していた
ことで記憶に残っていました。古山さんの略年譜には、次のようにあります。
「 昭和37年 1962年 42歳 教育出版株式会社を辞し、株式会社芸術生活社に入
 社、『芸術生活』の編集に従事する。
  昭和39年 1964年 44歳 遠山一行を訪問、『芸術生活』に連載を依頼し、以後
 同氏との交際が始まる。
  昭和42年 1967年 47歳 遠山一行、江藤淳高階秀爾がかねてから企画してい
 た『季刊藝術』に同人として参加し、四月、創刊号をだす。同誌により江藤淳と親し
 くなった。十月、芸術生活社を退社、『季刊藝術』の編集に専従す。」
 古山高麗雄さんは、「季刊藝術」の編集者として、森敦さんの「月山」を掲載し、
大きな話題となるのでしたが、自らもここに作品を掲載することで、作家への道を
歩むことになりました。
 古山さんの編集者時代についてどこかに記したものがないだろうかと思っておりま
したら、林哲夫さんのブログにありました。(さすがであります。)
http://sumus.exblog.jp/15082796/ | 2011-03-21 の記事です。
「幻の2作」が「芸術生活」に掲載されたのは、1962年8月号、63年5月号とのことです。
古山さんが「芸術生活」の編集していた時期と重なることで、「SUMUS」に引用されて
いる「吉村昭」さんの文章からみても、丸谷才一さんに原稿を依頼したのは、古山
高麗雄さんであるとしか思えないことです。