新潮「波」6月号 3

 末盛千枝子さんの新潮「波」6月号掲載の「父と母の娘」には、つぎのようなくだり
がありました。
「(大学)入学式の帰り、・・知り合いの小さな真珠専門店で、ネックレスまで買って
くれた。・・その真珠屋さんは、母の実家が懇意にしていた人だった。・・母が父の
デザインを買って欲しいと頼みにいったところ、大変な嫌みをいわれたことがあった
らしい。そんなこともあって、あの日、真珠を買ったのだろうか。それを思うとなんと
も悲しく、やりきれない。」
 末盛さんが大学に入学したのは、昭和35(1960)年のことだそうです。この時期の
舟越保武さんは、「ライフワークとも言える作品、長崎の『二十六聖人』の制作に
かかっていた。いま考えると私の大学生活は、父のこの仕事の時期とほとんど重なって
いたのだ。」とありました。舟越父が「二十六聖人」にとりかかったのは58年くらいで
完成までに4年半の歳月がかかったということですから、その間の生活をどうしていた
のかと思ってしまいます。もともと絵画とくらべると、彫刻のほうが販売は難しそうで
ありますので、現金収入を得るためには、「デッサン」などを販売するしかなかったの
でしょう。それにしても、ほとんど無名の彫刻家のデッサンはなかなか売れる事は
なかったでありましょう。
 当方は、末盛千枝子さんのお話を聞いたことがありました。舟越父への関心から図書
館で行われた講演会に出向いたものですが、この講演の冒頭で、末盛さんは、この町に
ある製紙会社の名前を聞くと、その昔に舟越父の作品をいくつも買い上げてもらって
生活を助けられたということが忘れられないといってました。どういう経緯で、この
製紙会社が舟越父の作品を購入するようになったものでしょう。