世間の人 7

 鬼海さんは、どうしてこのような写真をとる人になったのかであります。
ちくま文庫「世間のひと」のカバーには、簡単な紹介がありました。
「1945年山形県生まれ。法政大学文学部哲学科卒業後、遠洋マグロ漁船乗組員、暗室
マンなどさまざまな職業を経て写真家に。」
 1945年生まれということは、当方よりも十歳くらい上であります。大学は哲学科で
して、これは就職するにもっとも不利な学科です。法政大学の哲学といえば、戦前は
三木清が教鞭をとった学校でありました。あの林達夫さんも講師をしていましたです
ね。
 戦後の哲学教師には誰がいただろうかと、検索をかけてみましたら、次のような
先生があがっていました。( 法政大学のウィキペディア )

桝田啓三郎 - (元教授、キルケゴールウィリアム・ジェイムズフォイエルバッハ
加来彰俊 - (哲学、名誉教授)
佐藤信衛 - (哲学、元文学部教授)
村上恭一 - (哲学、名誉教授)
酒井健 - (文学部教授、フランス現代思想、芸術論)
高尾利数 - (社会学部名誉教授、キリスト教義学、宗教哲学

 ここに名前があがっていなくて、卒業生のところに名前があったのが、鬼海さんが
師と仰ぐ先生でありました。
「世間のひと」の鬼海さんのあとがきは、次のようにはじまります。
「何の自信のなかった若かったとき、映画を観ることに夢中になった。
 そんな折に、その後三十六年間教えてもらうことになる福田定良先生に出会った。
哲学教授だった先生は、当時よく話題作の映画評も書かれていた。そんな縁で、親し
く話をさせてもらうようになった。
 先生は生活者に添った独特な学問観を持っていた。誰でもが、自分で考えることが
面白くなる方法としての哲学を追い求めていらした。学問の場として大学以外に、
普通の人たちと対話することを重視する学習会を幾つか持っていた。」
 そうなのか、鬼海さんの師匠は福田定良さんであるのか。