遠方より届く 3

 内堀弘さんの「古本の時間」を手にしています。
 これを見ていると、すこし内堀さんの人となりがすけて見えてきます。
「私が神田で古本屋の店員になったのは七十年代の後半だった。店主は反町の対極に
あるような人で、『古本屋は勘と度胸だ』が信条だった。店に入った頃、といっても
学校を追い出されて転がり込んだものだから、どこからか『ウチボリは爆弾犯』だと
いう嫌がらせの電話があった。
 しかし店主は『それくらいの度胸がなきゃ、いい古本屋にはなれない』と言うだけで、
せめて嘘か本当かぐらい聞いてくれよと思ったものだ。こんな博徒のような古本屋が
まだ肩で風を切っている時代だ。」
 反町とあるのは、反町弘文荘主人のことで、昭和初年に東大をでてから神田の古書店
に店員となり、その後日本を代表する古書肆をやっていました。重要文化財に指定され
るような古書籍の値付けと販売を行っていたのですから、大半の古本屋は、「反町の
対極」にあるわけです。
 それにしても「爆弾犯」と噂されるような青年を雇い揚げる、太っ腹な店主がいた
というのは、七十年代後半がいまよりも良い時代であったといえるでしょう。
 内堀さんは1954年生まれでありますので、大学に入るころには、学生運動なども
すっかり下火になっているのに、どうしてかと思ったら、ほかのところに、次のように
ありました。
「高校一年生のときに、赤いヘルメットを被ったタカシ先輩が休み時間の教室にやって
きてアジテーションをはじめた。・・・そんな漢字も読めないトンマな先輩に、新大久
保の喫茶店で『ウチボリ、一緒に途方ない夢を見よう』と言われて、私はすっかりその
気になってしまった。」
 それにしても高校一年生で、すっかりその気でありますが、これなら70年頃のことで
ありますからして、時代があうことです。
こうした道にはまって、しかも大学もやめてしまいますと、ほとんど普通の会社からは
排除されてしまうのでありました。