最近の話題から

 本日の朝日新聞朝刊掲載の斎藤美奈子さんによる「わたしの紙面批評」を見ていまし
たら、「すぐそこにある戦争」という言葉が目にはいりました。
 世界を巻き込んでの大戦というのは、第二次世界大戦が終わってから70年近くも大戦
は起こっていないのですが、それにはつながらない戦争は、大戦後ずっと続いています。
そのなかで一番大きなものは、朝鮮戦争とかベトナム戦争がありました。
さすがに朝鮮戦争の記憶はありませんが、ベトナム戦争の時代は、当方が高校から大学
頃のことでして、高校時代を過ごした町は、米軍の基地がおかれていましたので、訓練
のために艦載機なども飛来してきたものです。
 朝早くから、ジェット戦闘機がエンジンをかける音が聞こえてきたものです。
戦闘機はファントムでしたから、まさに雷様のごとくであります。
米軍の艦載機は、市民の生活に遠慮することなどなかったので、離陸にあたっては、
いきなりのフルスロットルでありました。なんであんなにうるさいのかと、事情通に
いったら、とろとろと飛び上がっていたら、空母から失速して海に落ちてしまうと
いわれました。
 ベトナム戦争が終わって、冷戦構造にも変化が起こり、この町の米軍キャンプは
閉鎖となったのですが、高校のころにキャンプに出入りしていた人の話をききますと、
まったくの別世界であるとのことでした。今から40年ほど前のことです。
 なんとなく、当方の若い頃に戦争は身近にあったことです。
 あの時代とくらべて一番何が変わったかというと、マスコミの権力を批判する力が
弱くなったことでしょうか。
 マスコミというのは、広告が集まらなくなると急に色目を使うもののようです。
斎藤美奈子さんの「紙面批評」からです。
「この半年、『国威発揚』『翼賛報道』に近かったのは東京五輪招致報道だ。反対者
は『非国民』扱いされない勢い。朝日は8月8日の『招致の足元』や9月2日の社説で
わずかに抵抗を示したが、メディアをあげての五輪報道の前には異論もかすむ。
開催地が東京に決定したことで、紙面でも当分祝賀ムードが続くだろう。反対者の
声はさらに抑圧されるのか。」
 五輪というのが、いまやスポーツ商業主義の一大イベントであることは間違いない
ことでありまして、そのむかしとは動く金も利権もスケールが違っています。
このような五輪を続けるのにどのような意味があるのかというのは、もっと問われて
いいように思います。
 そういえば、つい先日に「ナチスの手口に学べ」と発言した方もいらしたようです
が、ナチスは見事に五輪を戦争につなげたのでありましたね。
その次の五輪開催地は、ご存知東京でありまして、これは皇紀2600年を記念しての
ものでした。幻となった皇紀2600年記念(1940(昭和15)年)から、80年後であり
ますが、これが幻に終わらないことを祈るのみです。