百歳までの読書術 10

「散歩と釣りと雑本が読書名人への王道だ」とあるのは、雑誌「ノーサイド」の「読書
名人伝」特集の巻頭対談のタイトルとしてです。
対談をしているのは山口昌男さんと池内紀さんで、司会は小さな字で坪内祐三とありま
す。
「しかつめらしい学者先生も、オモシロ主義の読書狂も、『読書名人』への道は、まだ
遠い。 読書の醍醐味ここにあり おいしいほんを味わい尽くした 『読書名人』が
かっては存在した。」
 このリード文は、司会坪内さんの名前の前におかれていますので、坪内さんによるも
のでしょうか。
 この対談は山口昌男さんの本領発揮というものです。「散歩と釣りと雑本」というの
は、山口さんの発言に登場するものです。
「歩く人が少なくなっただけでなく、釣りをする人が少なくなった。そもそも石井研堂
幸田露伴の釣りの先生だったんですから。露伴の釣りの随筆はものすごくいい。
露伴や研堂と同じ根岸の仲間岡倉天心も釣りが大好きだった。天心は五浦にいる時は、
毎日船の上で、読書しながら釣りをしていたけれど、本に熱中して、大物がかかっても
釣らない。大読書家に望ましいスタイルだね。」
 これを受けて池内さんが「釣りを嗜まなくなったというのは、思うに読書家として欠落
ですね。」と発言します。
 それについでの、山口さんです。
「空虚な時間を作るという力が失われた。空虚な時間を作りだす精神力をバネにして読書
するのが、本来のあり方です。芥川以降はためにする読書になりすぎている。小説家も
小説を書くために本は読むけど、雑読はしなくなりました。そういう一般の傾向はある
かもしれないですね。明治には、幕臣ね、負けた連中が自分の生き方に決着をつけて、
職を持たずに、読書家に徹した人がでた。それから見ると、第二次世界大戦後の日本人は
勝ったアメリカのほうに同化しようとしたから、大読書家が出る余地はなし。
 読書家は自分に役立っても、子孫に役立つような本買わないんだよ。」
 読書家の条件というのは、勝ち組にならないことでありますか。これはなかなか厳しい
ことでありますが、人間は年をとることによって、好むと好まざるにかかわらず死にむ
かったの負け組となるのでありますから、百歳にむかって進めば、読書家になるための
一番難しい条件をクリアすることになりますね。