小沢信男著作 203

 全句集「んの字」のあとがきに、小沢さんは次のように書いています。
「当時(83年頃?)は久保田万太郎句集一冊がお手本で、他は眼中になし。万太郎句に
はしばしば魅力的な前書きがあって、その模倣をこころがけました。いまみればいかにも
初心、季重なりもなんのその、地名プラス十七文字という作品をつくるんだ、という料簡
でいたようです。」
 これは「東京百景」を連作していた頃のことを記したものですが、小沢さんの俳句の
師は久保田万太郎さんということになりますね。小沢さんが久保田万太郎の作品に学んだ
ということであって、久保田門下ということではありませんよ。
 小沢さんは、朝日新聞連載の「俳句が楽しい」の初回も久保田万太郎作品からはじめて
います。
「  時計屋の時計春の夜どれがほんと 久保田万太郎
  柱時計も置き時計も、みんなゼンマイ巻きだった時代の情景です。昭和10年代の作
 らしいが、この句に私が出会ったのは敗戦後。昭和21年1月に創刊の『春燈』を兄が
 買ってきて、つぃか巻頭にのっていた。その頁が60年後のいまも、おぼろに目にうか
 ぶ、ような気がする。中学校卒業寸前でした。・・
  だれもが思うことを、そのまま書いているだけなのに、そこへ『春の夜』の四文字が
 割りこむと、いきなり、その時計屋がみえてくるのは、なぜだろう。・・
  1年中、時計屋は『どれがほんと』状態なのに、こう言われると、夏の昼や、秋の夕
 や、冬の朝ではやっぱりダメ。うそとあわいにうかぶ春宵一刻が、こうして無造作に
 捉えられて、あぁ、これが俳句か。
  以来60年忘れないでいる。たぶんこのとき、はじめて俳句におどろいたのです。
  俳句とは言葉の手品なんだ!」
 「春燈」というのは、久保田万太郎が主宰した俳誌でありますが、これを小沢さんの
お兄さんが買ってきて、それを兄弟で廻し読みし、以来ずっと巻頭の作品が小沢さんの
心に残って、後年になって俳句をつくりはじめたときも、久保田万太郎句集をお手本と
したのです。
 「あの人と歩く東京」でも「久保田万太郎句碑を巡って」という文章がありますが、
久保田万太郎さんについて、小沢さんは、次のように書いています。
「 久保田万太郎さま。あなたは百年前の浅草に生まれ、亡くなられて早くもざっと
三十年が経つのですね。生前のご盛名にひきかえ、没後は高慢とかケチとか無思想とか、
悪評しきりの時期もありましたが、それもこれも今は昔か。このごろは書店の店頭でも、
めったにご著書をみかけません。
 その代わりに、こんな大きな碑が道端につっ立って、他人事ながら照れくさい気もし
ますが。・・
 そこで今回は、この碑からスタートし、先人のご足跡の一端を、僭越ながら辿らして
いただきます。『久保田万太郎全句集』を携えて。あなたの句は、二十世紀の東京暮ら
しをうたった絶妙の叙情詩として、後世まで読み継がれることでしょう。この一冊の
ほうがよほど永遠にちかいでしょう。生前まったくご無縁の一読者ながら、そう私は
考えます。」
 久保田万太郎門下はどんどん姿を消して、いまや一番の支持者は小沢信男さんである
のかも知れません。