小沢信男著作 181

 小沢信男さんにとって、辻征夫さんは大変重要な人物であります。
小沢さんは、「辻征夫論を書く人は、一度はこの向島の路地に来てみる必要がありま
しょう。」といっていますが、これを実践した方はいるのでしょうか。
 本日、手にしたちくま文庫新刊「本と怠け者」荻原魚雷さんには「辻征夫式詩人生活」
という文章がありますが、これには「39年東京浅草で生まれる」という紹介はあったも
のの、向島への言及はありませんでした。
 荻原さんの関心は、「詩人の暮らしに興味がある。単刀直入にいえば、どうやってメシ
を食っていたのか知りたい。」というところに向いていたといいます。
 荻原さんの時間だけはたくさんあった時代に、「これから書こうとするひとや、まだ
まだ書き続けてほしいひとに言いたいのは、やっぱり何年書いても、いくつになっても
基本は同じだということ。生涯無名でいいやって覚悟がないとだめだと思うんだ。」と
いう考えの詩人、辻征夫さんの作品にひかれるようになったようです。
 荻原さんの文章には、「辻征夫の詩が好きな人は誰しも、もっと読まれていいの詩人
なのにという。わたしもそうおもう。」とあります。
 荻原さんによる辻征夫さんの紹介文をみましたら、小沢信男さんと重なりあうところが
あるなと思いました。(ちなみに、この荻原さんの文章は、初出は「ちくま」であるよう
です。この連載時に目を通しているはずですが、まったく記憶に残ってはおりませんでし
た。) 
 小沢信男さんが、「一回り年下だけれどなぜか気があって」と記した辻征夫さんのこと
を知りたくて、小沢さんの書いた辻さんに関するもの、そして辻さんが書いた小沢さんに
ついての文章を物色しています。
 そんななかでの「あの人と歩く東京」の「向島漫歩」であります。
 小沢さんが2006(平成18)年1月16日(なんと当方の父が亡くなった、まさにその
日)から朝日新聞の朝刊に「俳句が楽しい」という連載(10回)していますが、その
4、5回は辻征夫さんにあてられています。
 この5回からの引用です。(ちなみに本日は中秋の名月。こちらはいまにも雨の空模
様です。)
「  満月や大人になってついてくる 辻征夫
  その早すぎる晩年に、脊髄小脳変性症という奇病で起居不如意となりながら、夫人と
 妹に支えられて句会にあらわれ、上の句で最高点をさらった。にこにこ顔がいまも目に
 浮かびます。お月さんは、歩いても走っても汽車の窓からみても、どこまでも平気で
 ついてくる。ふしぎだなぁ。その気持ちを、どうやら彼は生涯保ちつづけた。いつも 
 どこかポカンとしていた。・・
  辻征夫は、この『満月や』の句会の三ヶ月後の平成12年1月14日に逝く。
 享年60。」