小沢信男著作 171

 墨田区千歳三丁目を走っていた電車は、なんであったのかと思って検索をかけてみま
したら、路面電車愛好の方によるページが、すぐに見つかりました。かって本所区
走っていた何本かの電車のなかで千歳三丁目を走っていたのは、都電23系統ということ
がわかりました。それにしても、鉄道好きの方のページというのは見ていて楽しいこと
であります。
 次の方のページには、23系統が現役で動いていた時代と、最近の写真が掲載されて
いました。( http://members.jcom.home.ne.jp/osushiyo/romen10.html )
 次のページには、グーグルマップに路線図が落としてあって、千歳三丁目の電停の
場所がわかるようになっています。便利なことです。 
( http://stazione.blog90.fc2.com/blog-entry-7.html )
 当方は、東京にいったのは修学旅行のみで、暮らしたのは80年代半ば3年間のみであり
ますので、都電の全盛期をまったく知ってはおりません。都バスというと、いまも昔も
同じ色であるのでわかるのですが、都電荒川線と、かっての都電は色もちがいますから
ね。この都電23系統の通りには、現在は都営大江戸線という地下鉄が通っていることも
わかりました。
 電車好きの方の視点で、小説などを読むというのも面白いかもしれませんですね。
「彼は、本所へ引っ越してきてから夜よく眠れたことがあまりなかった。早く眠ろうと
あせっている頭の上を、といっても二階に寝ているのだから頭の上ではなかった。
ただ彼は、電車みちの方を枕にして寝ているのでそんな気がするのだったが、その頭の
上をがんがんいって電車がたえまなく走っていた。電車は亀沢町の車庫へ早く帰ろうと
して、と安吉いは思われた。やけになってがんがん走っていた。何時ころまで続くか
検べたことはなかったが、そしてそれはつまり安吉にしてもいくらかはとろとろと眠る
ということでなければならなかったが、二時すぎにごろは最後のがちゃばり方でがん
がん走っていると思われて仕方なかった。
 やっと電車がすんだと思うと今度はトラックだった。」
 中野重治さんの小説「街あるき」の冒頭にある一節です。小説が発表されたのは、
1940年ですが、舞台となる時期は大正13年ですから、この時代に、そんなに遅くまで
電車は走っていたのかと思いました。