小沢信男著作 168

 小沢信男さん「あの人と歩く東京」あとがきからです。
「同行二人の文学散歩が、本書を貫く方法なのだとお察しください。
 こうして歩いてみると、架空の同行がかなり実感的でなくもなくて、生死の境は厳然
ながら、曖昧なような気も同時にします。人は死んで時空をこえるのか。時空に閉ざさ
れた不如意が生なのか。してみれば死者とおつきあいねがうのは、この耐えがたい世を
せめて凌ぎやすくする一つの道ではないでしょうか。
 いや、これは大袈裟であった。そうではなくて、いまは亡い人がふとそこらにいると
思える瞬間がある。また、あの人がもうどこにもいないのだと悟る瞬間がある。この二つ
は理屈では違うようだがほぼ同じで、このとき悲哀の感情は慰藉に等しいのでした。
還暦をすぎて、多年の知友や身内にばたばた死なれ、ようやく味わう感情で、人生に
初体験は絶えないものですね。
そんな気分が本書の下敷きになっているのかもしれません。」
 このあとがきには日付がありまして、それは「93年4月8日」となっています。
この時、小沢さんは65歳でした。
「還暦をすぎて、多年の知友や身内にばたばた死なれ、ようやく味わう感情」というの
は、以前に手にした時には、まったく頭に残っておりませんでした。今回この本を手に
して、当方が還暦をすぎたせいもあるのでしょうか、すこしは「悲哀の感情は慰藉に
ひとしい」というのがわかりかけてきているのかもしれません。