小沢信男著作 129

 戦争というので犠牲となるのは、戦闘員に限られるわけではありません。
ベトナム戦争は、解放軍がゲリラ活動をしたことで、人の中にまじっていたわけで、
しかも戦闘が長期となったのですから、悲惨は話は数限りなしです。
「なにしろ三十年間の、民族の独立と統一の戦いでした。敵味方の将兵のみでなく、
毒ガス、枯葉作戦、村民虐殺エトセトラの非戦闘員たちの殺傷も無数にあった。
その重い腰のタマシイたちが、いっせいに昇天をはじめているのです。・・
 四十余年前の日本の敗戦当時の、瓦礫だらけの東京の焼跡も、おのずから思いうかび
ます。もう空襲はないときまった空の、あっけらかんと青かったことよ。
 あの戦後五年目に『戦没学徒兵の手記』にもとづく映画『きけわだつみの声』がつく
られ、そのラストシーンは海からも山からも無数の屍たちが立ち上がり、いっせいに
こちらに迫ってくるのでした。
海ゆかばみづく屍、山ゆかば草むす屍、大君のへにこそ死なめ、かえりみはせじ』と
いう戦中観念美学の裏がえしであって、現実には名分のない酸鼻の死になぎ倒された
屍たちが、かえりみて訴えないではいられないという涙ボーダの場面でした。
 あの場面を、この作品は、いくらか超えておりましょう。」
 戦争の停戦が発表されたのを聞いて歓喜して真上に放たれた砲弾は、一転して落下する
のですが、それを阻止するために、あの世にむかって足踏みしていたタマシイたちは、
敵も味方も戦闘員も、それ以外も、タマシイの呼びかけに応じて砲弾にしがみついたので
あります。
「敵も味方も、白も黒も黄も、あらゆる差別を超えて、いまやタマシイのインターナショ
ナルな運動が実現しているのであります。
 彼らの一致協力の目的はなにか、地上の人間の愚行から、その人間を救うことです。
つくづく生きている人間はアホだね。」
 タマシイたちのインターナショナルな運動が実って、砲弾は人がむらがっている広場を
避けて、川に水柱をあげて落ちたのでした。
「タマシイたちの行為は、いうなら死者から生者へのはなむけでしょう。連帯の挨拶とも
いえましょう。そのことを生者たちは知らない。知るすべもない。」
 そうか、「死者から生者へのはなむけ」でありますか。