小沢信男著作 128

 ベトナム戦争について、小沢信男さんは、次のようにいっています。
「とりわけアメリカの北爆開始(1964年)からの十年が、激しい全面戦争でした。
日本国内でも北爆反対のデモから<ベトナムに平和を!市民連合>略してべ平連が
生まれ、十年間の運動がつづきました。
 この運動は、アジアの一員としてアメリカにもの申す、という精神で、明治この
かたとかく脱亜入欧色のつよい日本人としては殊勝なものでした。このべ平連方式の
ほうが本来の国際性でしょう。かえりみてもいい運動であったなあ、と思います。
 そんなわけで、ベトナム戦争終結は、多くの日本人にとっても歓びでした。
第二次大戦でアメリカに完敗した国民としては、ベトナム人民の勝利は多大の感銘
でした。」
 日本は、第二次大戦で負けたことによって、USAにより解放されたような感じにな
り、それ以来、USAが正義の味方であることを疑うことはなくきていたのですが、
あれっと思うようになったのは、ベトナム戦争への本格的な介入(これが北爆開始)
からでしょう。それでも、まさかUSAがこの戦争に勝つことができないとは思っても
いなかったことです。
 思えば、この敗北が大きな歴史の節目となったのでしょう。
 
「場面は変わって、・・解放軍の一兵士が、胸を射たれてあっさり死んでおります。」
 この兵士はタマシイとなって浮揚して、あの世に向かうのですが、足踏みをしていま
す。
「タマシイの腰がなぜ重いのかといえば、殺し合いの非業の死だからでしょう。あと
数日ないし数時間生き延びれば死なずにすんだかもしれないし。この悲運は敵も味方も
ない。いまや同列のタマシイたちは、こんな非業の大量生産いや死産がもう終わって、
あとに続かないのを信じて、いっせいに昇天の決意をかためるのです。そのいさぎよさ。」