小沢信男著作 115

 小沢信男さんの作中人物である「写真家 牧野次郎」さんについての捜索を引き
続きで行ってみることにいたしましょう。ほかにもどこかに登場したような、しない
ようなことです。(これは、これからの調査です。)
 小沢信男さんの作品について、野呂重雄さんが、次のように書いています。
 野呂重雄さんは、小沢さんの盟友のような存在です。先日に小沢さんが田村義也さん
の装丁本で好きなものをあげていると引用しましたが、野呂重雄さんの「もろともに
かがやく宇宙の塵」という著書に、以下の文章は収録されています。初出は「新日本
文学」1974年11月号で、その時のタイトルは「空間の洗い直し」でした。
単行本に収録にあたっては、「新しい磁力ー小沢信男論」となりました。
「きょうはわたしは小沢信男論をやるように編集長にいわれてここへ来ましたが、どうも
何かを論ずるというのは、ご大層らしくなりがちです。もともと小沢信男の作品は、
論ずる必要はないと思うのです。文句なしに面白いので、今さら、という気がしてしまう
のです。鳥の声をきいたり、花をめでたり、きれいな空気ををすっているときに人は
それを論ずる気にならないものです。あまりにも自明なもの、あまりにもはっきりして
いるたしかさは、人は論じないで享受すればいいんだ、と思います。
空気を論じねばならないときは、人は、その空気とともに不幸になりつつあるときだと
思うのです。ことさら論ずることもないはずの太陽の明るさや、ほんらいの空気の
すがすがしさについて考え直すことは必要だし、それを見直すことにも意義はあるの
かもしれません。」
 野呂さんによる「小沢信男論」の書き出しであります。発表の舞台は「新日本文学
でありますから、小沢さんの作品世界をよく知っている読者も多くいて、たいへんで
ありました。このように書き出すのですから、野呂さんも脱力系です。