これから読む本6

 佐藤正午さんのエッセイ集には、野呂邦暢さんへの関心から手にするようになったと
記しましたが、光文社文庫のどの一冊を見ても、野呂ファンが喜ぶ文章が収録されて
います。
「ありのすさび」には、94年朝日新聞に掲載した文章があります。
「 野呂邦暢の小説ならほとんど全部揃えているのだが、この第一短編集だけは持って
いない。ずっと昔、大学生のころに、札幌旭屋書店の単行本の棚の前で『十一月水晶』
の背文字を見つめて小一時間も迷った記憶があるけれど、結局は買えなかった。・・
野呂邦暢の小説あさえあればほかはいっさい要らない、というくらいにのめりこんで
いた時期である。現実よりも野呂邦暢の小説の方がよほどリアルで、読んでいるあいだ
だけ生きているという実感があった。つまり『十一月 水晶」は友人よりも恋人よりも
大切な小説家の最初の本というわけで、・・・・」
 佐藤正午さんの大学時代は、75年くらいのことですから、この時期の札幌旭屋
書店というのは、札幌の中心部「狸小路」の雑居ビルの地階2フロアにあったものです。
ハンバーガー屋さんのロッテリアがあるところから地下におりていきますと旭屋に
入るという位置関係ですが、この店に足を運んでいたころに、ここで野呂邦暢さんの
本を見たという記憶がありませんですが、佐藤正午さんはさすがであります。
( 旭屋書店は、このあと札幌駅ビルのほうへと移転しまして、いまは札幌から
姿を消してしまいました。札幌から姿を消したのと、渋谷から撤退したのと、どちらが
先であったでしょうか。)
 この文章のタイトルは1980年5月7日快晴というものですが、これがどういう日で
あるかといいますと、「諫早在住の作家、野呂邦暢さん」が亡くなった日でありました。
「 突然の訃報を聞いても僕は悲しまなかった。・・二十代なかばの青年にとって
人の死は他人事にすぎなかった。たぶん僕はこんなふうに考えたと思う。野呂邦暢
数々の作品を残して、やれるだけの仕事をやり終えて死んだ。それらを僕は今後も
読むことができるし、折にふれて読み続けるだろう。そのことに不足はない。だが、
自分じしんの現実はどうだ。・・自分は、これからさき何をやるつもりでいるのだ。
・・僕にできたのは野呂邦暢の小説の登場人物の中に、自分じしんの姿を見ること
だけだった。彼らは地方の街で暮し、穏やかな日常に満たされず、何かを探して
歩きまわっていた。それは僕も同様だった」
 佐藤正午さんの作品が読まれているいまに、野呂邦暢さんの作品がもっと容易に
読めるようにはならないものでしょうか。みすずの「大人の本棚」には、野呂さんの
エッセイ選集がはいるとアナウンスがありましたが、ここは文藝春秋社からでて
いた一巻本「作品集」の復刊が一番でありましょう。(このブログをはじめた頃と
くらべると野呂さんに言及される方が増えて、作品集の古書価も、当時とは数倍に
あがっているのですけどね。)