榛地和装本2

「榛地和装本」を以前に「日本の古本屋」で検索しましたら、なかなかヒットしな
かったのでありますが、やっとこさでヒットして確保した途端に、確保したより安い
値段で次々とでてくるということがあります。今回、ここでとりあげるために
はてな」の商品検索をかけてみましたら、アマゾンで4冊ほどもヒットしました。
これは意外でありまして、おかげで判然とはしませんが書影をはりつけることができ
ました。
(もともと、この「榛地和装本」はぼやっとした感じの表紙でありまして、写真に
しますとわかりにくいものです。)
 藤田三男さんによる「まえがき」から、昨日に続いて引用です。
「 河出書房時代の上司、坂本一亀さんは、本作りすべてにわたって『全的に』関わ
ることを編集者に要求した人である。校正は校正者任せ、装幀は装幀者任せ、という
ことを極度に嫌った。坂本さんに導かれて、私は何冊かを装本したが、やがて、一冊の
本に占める装幀者の役割が社会的にも重くみられるようになり、装幀者が明記されて
いない『社内装』本は、著者に対して失礼にあたらないのか、との浅はかな思いから、
私はペンネームを付すようになった。」
 藤田三男さんは、新潮文庫に「三島由紀夫」についての著作がありますが、この本
で最初に取り上げられているのは、三島由紀夫さんの「英霊の聲」であります。三島
作品にはなじんでいないのでここはスルーすることにしましょう。(新刊で、これが
でたときに、購入しなかったのは、巻頭から三島、石原慎太郎となじみのない作家が
ならんでいたせいかもしれません。)
 この本の74ページには「山上の家」という章があります。
「 『旅人の喜び』のゲラは、通し組200ページほどのパラパラとしたもので、寺田
博さんに相談すると『庄野さんは、このごろいちだんと省略に省略を重ねるからね。
削られて半分くらいになってしまうかもしれないよ』と生真面目に心配してくれた。
この本のお願いに、生田の高台にある庄野さんのお宅に伺った。応接室の印象に
ついて、井伏鱒二さん旧蔵の備前焼の壷が、部屋を圧するようにでんと据えられて
いることに触れた文章が多いが、もちろんそれにも驚いた。が、ただ一冊の本も
置かれていない書斎に、より奇異の思いが大きかった。やがて必要になると戸棚を
あけて自著を取り出すのを見て、庄野さんらしいゆかしさを感じた。本はすべて作り
付けの戸棚に収められていた。・・・
 小学校から帰ったお子さんが、応接室に必ず挨拶に見えるのにも恐縮した。たしかに
われわれの子供のころは、家に来客があれば挨拶にでるのは当然のことだったが、そう
いう風を自然に残している庄野さんの『山上の家』は、まさしく庄野さんの小説の世界
そのもののように思えた。」
 「旅人の喜び」は1963年刊行ですから、生田「山上の家」は、この時すでに箱庭か
盆栽のように庄野さんの作品世界となっていたのですね。