疎開小説7

 学童疎開についてをテーマにした小説作品で、一番入手が容易なの小林信彦さんの
東京少年」(新潮文庫)であるようです。この作品は、新潮社の「波」に連載された
ものをまとめたものですが、文庫本のあとがきに「記憶とその裏付けをとるためには、
月に18枚という枚数の原稿はまことにありがたかった。」とあるように、他の自伝的な
作品と同じく、なによりも細部にこだわったものです。その分、小説としては読みにくい
ものとなっていますが、これが小林信彦さんの流儀でありますので、これはしょうがない
のであります。
 主人公となるのは小学6年生(正しくは国民学校6年)の「ぼく」で、これはほぼ
小林さんのことでありますから、できるだけ自分の体験にそっていて、疎開の記録と
しても通じるものを小説仕立てとして残したということでしょう。この作品を連載して
いた時に小林さんは70歳を過ぎていましたが、作品は老年の主人公が疎開の時代を回顧
するというのではなく、あくまでも「小学6年のぼく」の視点を通じて語られています。
 この視点は、昨日まで記していた「皇国少女」のひたむきさには、ほど遠いのであり
ますが、小林信彦少年は老成していたといわれると、なんとなく納得してしまうことで
あります。
 これのあとがきから引用します。
「当時、小学校(国民学校)6年生だったぼくは、<学童集団疎開>と<個人疎開
の二つを体験した。
 前者は、アメリカ軍の攻撃を逃れて、子供たちだけが山里で平和に暮す、という役所
のイメージ(苦肉の策だが)から出発しているが、親元を離れた子供たちが憎しみ合い、
苛め合う結果となり、深いトラウマを残した。もっとも<楽しかった日々>と記憶
している人もいるらしく、6年生と3年生(最下限)ではかなり記憶が違うらしい。
少なくとも、後年、ぼくと同年齢の人たちは<集団疎開>の話題に触れたがらず、
触れても、せいぜい苦笑するだけだった。ぼくにとって、<集団疎開>は、とりもなお
さず、戦争そのものであった。
 この作品中の<ぼく>も、<集団疎開>と<個人疎開>の両方を体験するが、著者で
あるぼくの体験そのままではない。家族関係の複雑化などを避けているので、自伝的
作品ではあるが、自伝ではない。」
 小林信彦さんには、集団疎開を描いた「冬の神話」という作品があるとのことですが、
これは昭和41(1966)年に発表されたものです。これから40年もたつと、戦争も疎開
も歴史の彼方で、風化していて、これじゃいかんということが「東京少年」を書かせたと
いうことでしょうか。

東京少年 (新潮文庫)

東京少年 (新潮文庫)