埴谷雄高の肖像 4

 「変人 埴谷雄高の肖像」文春文庫から話題をいただいています。この本で
インタビューにこたえている編集者は、おふたりでありますが、未来社 松本
昌次さんに続いては、中央公論社の「宮田毬栄」さんが登場します。
 宮田毬栄さんについては「『海』で文芸誌としては初の女性編集長を務め、
主に石川淳島尾敏雄安岡章太郎北杜夫らの作家を担当。1970年代には
韓国の詩人・金芝河の紹介と作品刊行に全力を注いでいる。」とあります。
 宮田毬栄さんが「海」編集長をつとめたころは、編集部にはかのスーパー
エディター(自称)の安原顕がいて、彼の著書では、かなり厳しく書かれて
いたように思います。
宮田さんは、父親が著名な詩人 大木惇夫でありまして、女性、二世なんてことも
安原顕に厳しくいわれる要因であったかもしれません。
 作家は、男性のほうが多いので、そうしたことからはむずかしいことがあった
のでしょうが、埴谷雄高さんに関しては、そのようなことはなかったようであり
ます。( へんに気難しい作家には、女性編集者を担当させればよろしいなんて
いうことでやっていたところもあったようです。)
 このインタビューで、埴谷雄高さんについて聞かれて、宮田さんは次のように
回答をしています。
「 女の人として埴谷家にいくわけではないのですが、埴谷さんは素敵な男性でも
ありましたよ。おしゃれでジェントルな感じでした。若い人を愛していましたね。
若い人が埴谷さんの作品の感想や質問を述べても誠実に応える。彼は心が柔らかい
から、あなたぐらいの年齢であっても違和感がなくて、何歳も年上だとは感じない
だろうと思います。」

追憶の作家たち (文春新書)

追憶の作家たち (文春新書)

 宮田さんには、上記の著作がありまして、これを購入して読んだ記憶があります
が、いまはどこかにまぎれてでてきません。この新書を読んで記憶に残っている
のは、作家 石川淳のところできされている彼女の息子が大学で、石川淳の孫と
同級であったというくだりだけであります。この石川淳さんの孫というのは、
昨年に開高健ノンフィクション賞を受けた石川直樹さんのことでありました。