富士さんとわたし11

 「富士さんとわたし」山田稔さん著 編集工房ノア刊の、最後のページに
なんとかたどりつきました。あちこちに寄り道がしたくなるところがあって、
その都度、あちこちに紛れている本の引っ張り出してきて、文中で言及されて
いる箇所にあたったりしておりました。
 「VIKING」「日本小説を読む会」「久坂葉子」「大槻鉄男」「小沢信男」等々
寄り道の材料には、ことかかずでありまして、この「富士さんとわたし」に
登場する人物、本、雑誌などをリストにすれば、おもしろいものができるぞと
思ったのでありました。
 今回、この本を読んで、小生のところにある富士正晴さんと山田稔さんの
ものがあちこちに散逸しているのを、ひとまとめにしなくてはいかんと思った
のでした。山田稔さんのものでも、購入してよまずにいるもので、創作の
背景にあるものを知ったので、これを期に、読んでやりましょうと思うので
ありますが、そのまえに本がどこにあるのか探さなくては。
 富士正晴さんについては、ある時まで新刊がでるたびに購入していたので
ありますが、途中からエッセイ集については購入していたものが、創作に
ついては購入せずとなったように思います。
 いつころから、小説の購入をしなくなったのか、それを確認してみることに
しましょう。小生が購入するのをためらったのは、富士正晴さんの、次のような
創作手法によるものです。
「 京都新聞に連載した『榊原紫峰』は、ところどころに自分の文章がはいって
いるだけで、後はいろいろな人の日記、手紙、紫峰の思い出などがつながって
いるだけだが、『そのつなぎ方が実は問題で、その点にわたしの創作があると
自負している』のだ。」
 これをうけて山田稔さんは、次のように記しています。
「 晩年の、いや晩年にかぎらず初期から一貫した富士正晴の『創作』に
 ついての考えの基本がここに示されている。」
「 竹内勝太郎の遺稿の出版、『贋・久坂葉子伝』などにはじまる『物在
 人亡』、ものは残れど人は無しの思想の明確化、あるいはその亡きものを
 文の力で在らしめようとはげむ富士正晴の仕事の仕上げである。」

 富士正晴がなければ、竹内勝太郎や久坂葉子がいまのように人口に膾炙する
こともなかったように思います。富士正晴の、最大の仕事は、「亡きものを
文の力で在らしめようとはげむ」ことにあるのでした。