竹内勝太郎さんというのは、若くして事故死した詩人でありますが、この人が
指導した若い人がやっていた同人誌に「三人」というのがあって、この同人の
代表的な存在が、富士正晴、野間宏、竹之内静雄(元筑摩書房の編集者で
社長)でありました。このような立派な弟子がいたことで、亡くなったずっと
あとに全集が刊行されることになりました。思潮社が出版を引き受けたのですが、
知名度は高くなかったのですが、千部作成されたものが、直接注文でほとんど
売り切ることができたとか、新聞でみたことがありました。たぶん、69年頃の
朝日新聞の読書欄にあったもので、これは一人でやっている出版社をシリーズで
とりあげたものでありまして、当時の思潮社は、小田久郎さんが一人でやって
いたのであります。
この竹内勝太郎さんのところに残っている竹内さん宛の書簡を読み解いて
竹内の人間について検証したのが、未来社刊「竹内勝太郎の形成」であります。
小さな活字で2段組にくまれた本は全部で600ページほどあり、よほどのことが
なくては手にすることすらなくなっています。
編集工房ノアから富士正晴と山田稔さんの間でかわされた書簡を題材に新刊が
でると見たときに、最初に頭に浮かんできたのは、「竹内勝太郎の形成」でありま
した。
未来社刊のこの著作は、富士正晴さんが膨大な時間を費やしているのであり
ました。富士さんのあとがきは、次のようにいっています。
「『竹内勝太郎の形成ー手紙を読む。』は、猪野謙二氏の口ききで、岩波書店の
『文学』に昨年中連載され、だいたい、月50枚ほどずつの予定で書いた。
1年で完結することができなかったので、『vikinng』にそれをうつしたが、
これはかっきり1年間で完結するということに予定をおき、従って、枚数の
ほうが月百枚を越えることがしばしば起こった。・・・
この『竹内勝太郎の形成』が出版されるかどうかは、いまのところ、全然
不明であるか。もしされない場合には、小部数でよいからガリ版ででも、現代
日本文学研究者の便宜をはかるようにしたいと考えている。」
この本が刊行される運びになってからの本のあとがき。
「 連載を終わって何年かたって、丁度訪ねてきた松本昌次くんに話を
したところ、未来社から出そうといってくれたが、労ばかり多くて利益は少なかろう。
へたしなくても赤字ものではないかと、こころがすすまなかった。しかし、
出すといって原稿をもって帰ってから、また3,4年がたったような気がする。
・・ 中止しようといってやったら、いや、どうしてもやるのだと宣言し、
ついに松本昌次はこの本をこしらえはじめた。」