BOOkMANと本の雑誌

 本日は悪天候のために外にでることができずでありました。これまで気に
なっていたものを探して、納戸にはいってダンボール箱やスクラップブック
などをあさっておりました。結局のところ、一番さがしていたものは見いだす
ことはできず、いくつか気になっていたものを発見しました。
 これらはおいおいに報告をすることにいたしますが、本日にでてきたのは、
すこし古い「本の雑誌」33号と「BOOKMAN」最終号であります。
小生が手にした「本の雑誌」の一番古いのは15号くらいのはずですが、これは
どこにあるのであったか。いまでも大手流通を通さない「本の雑誌」ですから、
入手しようと思ったら、本屋に定期注文をしなくてはいけないのでした。
今と一番違うのは、広告のほとんどが雑誌同士による交換ものが中心で
あることです。83年のことですから、いまから25年ほど前のことです。 
 「BOOKMAN」という雑誌は、本の探検マガジンとあります。これも入手が
困難でありまして、小生の手元には数冊が残っているにすぎません。
早くに亡くなった「瀬戸川猛資」さんが編集をやっていた伝説の雑誌です。
 瀬戸川さんの「ブックマン物語」には、次のようにあります。
「 BOOKMANの権利をトパーズプレスがイデア出版局から買い取り、引き続いて
刊行しはじめたのは、正確にいえば第5号からである。実質的にはBOOKMAN
第4号からトパーズプレスの手に委ねられた形になった。今考えてみると、
この4号が一つの分岐点だったと思う。・・4号の特集「神田古書店カタログ」と
いうこの特集号は起死回生の三塁打となり、びっくりするくらいよく売れた。
・・しかし作るのは大変だった。編集部の三人で、神田神保町を朝から晩まで
歩きまわり、一店ずつチェックしていったのだが、なにしろ神田には百以上の
古本屋がある。それを網羅しようというのだからえらい騒ぎで、やってもやっても
終わらず、しまいには疲労困憊の状態となってしまった。・・
 BOOKMAN活版印刷で作られているのは、活字愛のゆえではなく、活版のほうが
オフセットよりもコストが安くてすむというなさけない理由からである。
印刷工場は古めかしい木造の建造物で、一階では輪転機が大きな音をたてて
休みなく回転し、二階では十数人の人たちが昔ながらのやり方で活字をひろったり、
組んだりしていた。
 なかに一人、80歳を優に超える矍鑠としたおじいさんがいた。聞けば大正の
昔から活字をひろっている超ベテランで、若い時は都新聞の印刷工場に勤め、
徳富蘇峰なんかの原稿を片手に仕事をしていたという。・・・
こういう昔ながらの職人さんは、活版印刷の衰退とともに着実に姿を消しつつ
ある。淋しいことだ。」
 「本の雑誌」もずっと活版印刷を続けていたのですが、これはコスト的にあわ
なくなってもやっていましたので、雑誌は活字というこだわりがあったのかもしれ
ませんが、最近は活版の雑誌は、ほとんど姿を消したと聞きました。
 この両誌にみられるように80年から90年代にかけてが、日本における
 活字印刷の末期となります。
 今、活字で雑誌を作りたいなんていうと、とんでもなくお金がかかりそうで
あります。