テレビの草創期にかかわった人たちは、このメディアが50年以上もたって
から、このようにおおばけすると思っていたでしょうか。小生が誕生したのと
民間放送のテレビが放送を開始したのは、ほぼ同時であります。もの心が
ついたときにはテレビ放送ははじまっていたのですが、もちろん、ごくごく
初期のころはテレビ受像器が高価であって、とっても一家に一台なんてもの
ではなかったのです。小生はいなかにくらしていましたので、街頭テレビなんて
のは存在しませんからして、学校とか地域の有力者のところにテレビ見物の
ためにでむいていったのです。
そうした初期のテレビ番組プロデューサーで、現在にも名前を残している
代表格が、東の井原忠、西の澤田隆治さんでありましょう。
澤田隆治さんには、「私説コメディアン史」というすぐれた書物がありますが、
これとあわせての「上方芸能伝」であります。
小学校から中学校にかけての楽しみは関西発のスタジオ中継のドラマをみる
ことでありました。大村昆、芦屋兄弟、ダイマルラケットというひとたちが
演じる笑いの世界は、クレージーからドリフがメジャーになるまで、笑いと
いえば上方というかんじでありました。一度東京へと傾きかけた流れをとめた
のも、やはり澤田さんのしかけによる「まんざいブーム」でありました。
これが決定的で、吉本が、こんにちこのようにあるのも、澤田プロデューサーの
功績大と思うのでした。
特に、すぐれているのは「名人劇場」という番組を製作して、貴重な芸人の舞台を
保存したことであります。小沢昭一さんが、全国各地に残る大道芸を追いかけて
録音、記録して保存したのは有名でありますが、テレビ業界というのは、その
むかしは記録を、後世に残すということに熱心ではなかったはずで、NHK以外は
ろくなアーカイブがなかったと記憶します。
しかし、関西発のお笑いについては、相当に残っているように思います。
もちろん、これは澤田さんの商売ともなっているのですが、資料を借用するに
金をはらってでもというのを作ったことがすごいのであります。
「私説コメディアン史」には、この本を書くために、自宅は資料のやまで
たいへんとあったように思います。紙と映像の資料があいまって、昔の芸人は
なまなましく立ち上がってくるのでした。