岩波少年文庫創刊60年 9

 「岩波少年文庫」の創刊に石井桃子さんがかかわっていたと書きましたが、岩波書店
その上司にあたったのが吉野源三郎さんでした。昨日に吉野源三郎さんで検索をしてみま
したら、岩波少年文庫の創刊にかかわったことや、そのマニフェストを書いたことが、
そのページにありました。   ( http://ja.wikipedia.org/wiki/吉野源三郎 )
 吉野さんは、1935年に山本有三さんの「少国民文庫」編集主任となったのですが、
この「少国民文庫」というのが、「岩波少年文庫」の源流のひとつであるのかもしれま
せん。「少国民」というのは、昭和10年代に子どものことをさす言葉でありますが、
だからといって、この「少国民文庫」が時代に迎合したものでないことは、それに収録
されていた作品が、現在にも残っていることでわかります。
「なつかしい本の記憶」に収録の対談でも、それについて言及しているところがありま
した。「なつかしい本の記憶」に対談は三本はいっていまして、「これにはユニークな
三組のきょうだい対談」とありました。三組とは、先に引いた「ぐりとぐら」の中川・
山脇姉妹、池内紀池内了、そして岸田衿子岸田今日子の姉妹です。
 「少国民文庫」についての体験を問うとすれば、これは岸田姉妹しかありません。
岩波の編集部が「新潮社の『少国民文庫』はご記憶にありませんか。」という問いへの
回答です。
「衿子 最近(1998年)、その中の二冊『世界名作選』が復刊されて思い出しました。
私はたくさん読んでいない。今日ちゃんはおぼえてるでしょ?
 今日子 十代で読んだんじゃないかしら。ワイルドの『幸福の王子』(阿部知二訳)
なんて夢中で読んだし、『点子ちゃんとアントン』(ケストナー 高橋健二訳)も、
この本が初めてだったのね。
 チャペックや『トム・ソーヤ』(吉田甲子太郎訳)。それからマングースと少年の話も
面白かった。
「衿子『リキ・ティキ・タヴィ物語』じゃない?これだけはなんとなく覚えていたのよ。
ジャン・クリストフ』の豊島与志雄さんとか、中野好夫さんとか、当時の明治の文芸科
の先生たちが分担なさったのね。編集には吉野源三郎さんやいちばん若い石井桃子先生も
いらした。今は石井先生しかいらっしゃらない。この二冊、岩波少年文庫をだすきっかけ
になったそうですね。
 その編集会議なんだけど、みなさんや、うちの父(岸田國士)なんかが、全然いかめし
くなくて、椅子から転げ落ちるくらいおかしい話ばかりするんですって。『あの編集は
すごく楽しかった。』って石井先生がおっしゃって、その話をしますからって、五、六年
前に伺いましたよね。」
 このお二人については、この本には生年が掲載されていませんでしたが、調べてみます
と1935年には、5、6歳であることがわかりました。この対談にあるように読んだの
は、後年になってからであるようです。