2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「友の会」つながり 2

友の会というのは、もともとつながっているものでありますが、当方が話題にしたい と思っていたのは、「ロラン友の会」ではありませんです。 最近手にした「本の雑誌」8月号 津野海太郎さんの文章にあった次のところに反応 したのであります。 「全共闘世代…

「友の会」つながり

「友の会」という言葉を目にして、何を思い浮かべるでしょうね。 いまほど「友の会」をキーワードにして検索をかけてみましたら、上位にはずらっと 百貨店の名前を冠した「友の会」があがってきました。これは想定しておりませんでし た。日本百貨店協会が「…

生誕100年かな

NHKをみていましたら番組の予告編というか宣伝がありまして、それは8月に連続 ドラマ化される「夫婦善哉」のものでありました。この原作の作者、織田作之助は今年 が生誕百年となるのだそうです。 そういえば、岩波文庫 今月の新刊には「夫婦善哉 正・続…

小樽にゆかりの 15

小樽にゆかりの瀧口修造さんについてを話題にしていました。戦時中の一番苦しい 時に瀧口さんが、北海道小樽に身を寄せることができていたら、すこしは違ったこと になっていたろうかと、たらればな話であります。 当方はシュルレアリスムの世界には疎く、瀧…

小樽にゆかりの 14

瀧口修造さんの作られたオブジェ(?)で一番有名なものは「リバティ・パスポート」 と称される小さな手製冊子でありまして、今回の「瀧口修造展」では、実物を見ること ができたことが収穫でありました。 この「リバティ・パスポート」というものを知ったの…

小樽にゆかりの 13

「瀧口修造のシュルレアリスム展」には、瀧口が影響をうけたり、親交があった芸術家 の作品が展示されていました。作品リストにはエルンスト、ダリ、マグリット、ミロなど のものがあがっていました。このリストをみますと、瀧口さんの手によるものはないよ…

小樽にゆかりの 12

瀧口修造さんが、佐藤朔さんに「行方不明の詩人」といわれるにいたったのは、戦時中 に発表せざるを得なかった、ただ一篇の詩のせいではないかというのが、飯島耕一さんが 「遠い傷痕」のなかでいいたいことのようであります。 「この詩が、以来小骨のように…

小樽にゆかりの 11

飯島耕一さんは、時局に迎合する詩を発表せざるを得なかった瀧口修造さんを糾弾 することを目的に、この小説「遠い傷痕」を書いているわけではありません。 飯島さんの世代は、「小学校の時に日中の戦争が始まって、『聖戦』の意義を疑った ことがなかった。…

小樽にゆかりの 10

瀧口修造さんに影響を受けた芸術家は数多くいまして、瀧口さんにはたくさんの オマージュが寄せられています。当方が、瀧口さんという存在を知ったのは、どうやら 大岡信さんが紹介する文章によってであったようです。(それにしても、最近の大岡 信さんは沈…

小樽にゆかりの 9

瀧口修造さんの自筆年譜を見ているうちに、これはどうしたことかと思ったことがあ り、それで他に参考となるものを見ています。 手近にあったものでは、飯島耕一さんの著作にヒントがありました。今回、参考にした のは、「飯島耕一・詩と散文」であります。…

小樽にゆかりの 8

1941(昭和16)年三月の連行にはじまる拘留は、「夏、検事勾留となり、調べ直し となるが、やや論理の軌道に乗り、シュルレアリスムの本質論と現実政治との関係に ふれるとその応酬は混沌として若い検事にも困惑の表情が見える。私自身の内部でも 本質的に未…

小樽にゆかりの 7

1939(昭和14)年4月、瀧口修造さんの愛する長姉の病重しとの知らせを受け、小樽 に急行、そのまま亡くなるまで看病をしていたとあります。 時代は、戦時体制への固めを行っているところで、瀧口さんの周囲には、「特高と 情報局からの圧迫が押し寄せる」と…

小樽にゆかりの 6

「しばらく前から藤堂は、Tさんには姉さんコンプレックスとでも呼べるある感情があっ たのではないか、それが深くTさんの内面にくい入っていて、Tさんをずっと動かしていた のではないかと思うようになっていた。 Tさんのあの妖精愛のようなものがそれであり…

小樽にゆかりの 5

瀧口修造さんの自筆年譜から佐藤朔さんがいうところの「行方不明」のくだりを引用 です。 「 1923(大正12)年 二十一歳 4月、慶應義塾大学文学部予科に入り、三田四国町の下宿屋に住む。三田文科に多少 抱いていた期待は裏切られ、教室よりも図書館にこもり…

小樽にゆかりの 4

「本の手帖」の結果として終刊号となった「瀧口修造特集」を手にしていましたら、 ついつい版元であった「昭森社」に気持ちがいってしまいそうになります。 この「昭森社」は、戦後における詩書出版の孵卵器(インキュベーター)役を果た したところでありま…

小樽にゆかりの 3

小樽にゆかりの詩人 瀧口修造さんは、大学時代をともにした佐藤朔さん(もちろん、 慶應の仏文教授で、ある時期は慶應の塾長)にいわせると「行方不明の詩人」となりま す。ひとつには、詩作品を若い時期に発表しても、それをまとめて刊行することがなく て…

小樽にゆかりの 2

瀧口修造さんのことをどうして知ることになったのだろうと思っています。小生が 予備校で知り合った友人で、高校時代にシュールな文化活動をしていたというのがいて、 彼が前衛芸術に興味を抱いているということで、その当時にでた「瀧口修造の詩的実験」 の…

小樽にゆかりの

北海道の小樽というと、近年は運河に沿った地区が観光名所となっていて、アジアの お客さんが多くこられています。台湾では、日本にくる旅行が人気で、なかでも北海道 は一番人気があるのだそうですが、そうした旅行者のほとんどは、小樽の運河に沿った 地区…

レコードのある部屋 5

皇紀二千六百年奉祝のためにブリテンが作曲した『シンフォニア・ダ・レクイエム』 は、当然のごとく当時の日本政府から拒否されて、披露されることはなかったと記されて います。 三浦淳史さんは、このブリテンがこの作品を送ったことを意図的としていますが…

レコードのある部屋 4

著者の三浦淳史さんはイギリス音楽が専門とあります。どなたがお書きになったもの であるか、ウィキペディアの「三浦淳史」の項は、詳細な記述となっています。 イギリスのクラシック作曲家といっても、当方が名前を知るのはほとんどなく、学校 で曲がとりあ…

レコードのある部屋 3

オーディオ雑誌の「ステレオ・サウンド」には、どのような読み物があったのだろう と思います。当方の友人にはこの雑誌の熱心な読者がいましたが、彼はこれに掲載の 記事等を参考に、オーディオ装置を購入したりしていました。その彼はレコードを購入 して音…

レコードのある部屋 2

「仙台が親戚」様から「『レコードのある部屋』はとても美しい本で、この本の「後書 き」も良いです。」と書き込みをいただきました。 この本の元になったのは、「ステレオ・サウンド」というオーディオ雑誌で、これは いまだ健在のはずであります。書店で平…

レコードのある部屋

「レコードのある部屋」というのは、本のタイトルであります。 先日に墓参にいった湯川書房店主 湯川成一さんが1979年4月に刊行した本で、著者 は三浦淳史さんです。当時の定価が2000円ですから、けっこう高額なものです。 レコードというのは、いまではほと…

なかったことに

なかったことにしようというのが、最近の原発再稼働をめぐる状況のようであります。 もともと絶対に安全なことなんか、この世の中にはないのであって、そんなことを求め られたら原発なんて、日本では成立するわけないと、逆ぎれでいわれそうであります。 ま…

ピーチな旅 4

当方の住む地方では七夕は旧暦でありますので8月の行事となります。本日に訪れて いた大阪は、街を歩いていましたら、七夕飾りがあちこちに見られました。 昨年のこの時期にも記しておりますが、当方の携帯(いまふうにいいますとガラケーで ありますね。)…

ピーチな旅 3

谷崎潤一郎「台所太平記」は、1962(昭和37)年に「サンデー毎日」に連載された ものだそうです。ちょうど日本が高度成長をとげているころのことです。 我が家にテレビが導入されたのは、ちょうどこのころのことで、当方が育った家庭で 高度成長を実感すると…

ピーチな旅 2

関西にきますと谷崎潤一郎の小説を読みたくなります。昨年に関西に来た時に立ち 寄った天神さんの青空古本市で、谷崎の新書版全集で「細雪」を購入したのでありま すが、つくづくあの時にそこにあった全巻を購入しておけばよかったとくやんでおり ます。 な…

ピーチな旅

当方の住む町は、次々と書店が閉店するというが聞こえてきて、それこそうっとう しいかぎりであります。ここのところのミニバブルは、書店業界には縁がなさそうで あります。 すこしうっとうしいときは、現実を離れるに限ります。こうした時は格安航空会社が…

ちくまの連載から

当方は「なだいなだ」さんの著作には、まったくなじんでいなかったのでありますが、 ここ数年は、「ちくま」に連載の「人間、とりあえず主義」を楽しみにしていました。 この4月号は、「ローマ法王の辞任」というタイトルでありましたが、この末尾のほう で…

かなしい現実 4

かなしい現実ということで、町の本屋さんが閉店するという話題を記したところで ありますが、それに引き続き全国チェーンのお店が、市内から撤退するとの報道が ありました。 大型店にテナントではいっていた店でありますが、大型店のキーテナントが撤退 し…