2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

小沢信男著作 138

昨日に「月刊総合誌 公評」は、すでに廃刊になったようだと記しましたが、 「月刊総合誌 公評」は、現在も健在で活動が続いていると指摘をいただきました。 昨日の当該部分を訂正いたしました。 そこで「東京の池」ですが、当方には池といって思い当たるもの…

小沢信男著作 137

「東京の池」は、「小沢(さん)が一九八五年秋から月刊『公評』に『東京の池』 と題する紀行文を載せたことに発します。」とありました。 「月刊 公評」というのは、いただいたことがありまして、手元に保存されている のですが、どういう成り立ちの雑誌で…

小沢信男著作 136

「東京の池」の小沢さんによるあとがきの続きです。 「本書は、東京散策のための実用書です。自前の脚と、電車・バスの公共の乗物の組み 合わせで、ご案内しております。参考資料は各区市、東京公園文庫、郷土史、地名考、 等々枚挙にいとまがなければ、まと…

小沢信男著作 135

昨日に、小沢信男さんの「東京の池」のあとがきを転記していて、次のところで はてなでありました。 それは「元来イナセのはずの土地柄がノテと呼ばれて苦笑い」というくだりです。 イナセ というのは、なんとなくわかりますが、ノテとはなんのことでありま…

小沢信男著作 134 東京の池

河出版「東京百景」についで、刊行された小沢さんの著作は、「東京の池」となり ます。これは小沢信男さんと冨田均さんの共著、作品社 1989年12月刊行 です。 表紙カバーがやけてしまって変色しています。どこかにもう一冊、もうすこしきれ いなものがあるは…

小沢信男著作 133

小沢信男さんの河出書房版「東京百景」を手にして、ぱらぱらとページをめくり ながら、目にとまったところを引用しておりました。 たぶん、いくつか重要な作品をスルーしているのかと思いますが、それについて は、またあとで言及することがあるかもしれませ…

小沢信男著作 132

今年3月の大震災以降、節電が強調されて都会の夜は暗くなったといわれますが、 それでも、当方が住んでいる田舎町よりもずっと夜は明るいようです。 都会の夜が暗くなるのは、どういう時であったろうかと思って小沢さんの「東京百景」 を見てみましたら、「…

小沢信男著作 131

小沢信男さんによる「野呂重雄」さんの作品評は、たいへん予見的なものでありま した。 「スリーマイルズやチェルノブイリの野もあります。殷鑑遠からず。原発とその廃棄物 を山ほどかかえて二十一世紀へむかう地球は、もう生者だけの身勝手で運転しきれる …

小沢信男著作 130

小沢信男さんの「野呂重雄『ベトナム最後の砲弾』を読む」を話題にしています。 この文章の表題が「タマシイより愛をこめて」というのは、このようにして見てきます と納得であります。 「タマシイ」と表記しているのは、もちろん野呂重雄さんであります。た…

小沢信男著作 129

戦争というので犠牲となるのは、戦闘員に限られるわけではありません。 ベトナム戦争は、解放軍がゲリラ活動をしたことで、人の中にまじっていたわけで、 しかも戦闘が長期となったのですから、悲惨は話は数限りなしです。 「なにしろ三十年間の、民族の独立…

小沢信男著作 128

ベトナム戦争について、小沢信男さんは、次のようにいっています。 「とりわけアメリカの北爆開始(1964年)からの十年が、激しい全面戦争でした。 日本国内でも北爆反対のデモから<ベトナムに平和を!市民連合>略してべ平連が 生まれ、十年間の運動がつづ…

小沢信男著作 127

小沢信男さんが読む野呂重雄作「ベトナム最後の砲弾」であります。 かってベトナム戦争というのがありました。ベトナムが分裂国家であったことや、 南北ベトナム間で戦争があったのは、いまでは遠い昔のことになっています。 「ベトナム最後の砲弾」というの…

小沢信男著作 126

小沢信男さんが2003年にあった「新日本文学会」最後の総会の結語部分で、野呂 重雄さんの『もろともにかがやく宇宙の塵』というエッセイ集が紹介されます。 この本は、小沢さんが「わたしの好きな田村義也装丁本」の一冊にあげているものです。 もろともにか…

小沢信男著作 125

河出版「東京百景」の第4章は、「点描 東京ー明治・大正・昭和・平成」と 題されています。19篇の書評などがならんでいます。 この第4章について、あとがきで小沢さんは、次のように記しています。 「(第3章を)空間的な移動の章とすれば、次なる4の章は、…

小沢信男著作 124

小沢信男さんの「東京百景」にある「随筆 季節のある街」という章は、86年から 87年にかけての東京の「街壊し」と「人の暮らし」についての声高ではない ドキュメントであります。 「季節のある街」と記していましたら、「季節のない街」という有名な小説が…

小沢信男著作 123

第3章は「随筆 季節のある街」が連載されたのは、1986年から87年にかけてです。 ちょうど当方が東京に暮らした時期でありますが、時代はバブル景気となりました。 あの頃のことを、しみじみといい時代と思っている人がいるのでありましょう。 一方では、次の…

小沢信男著作 122

東京には縁がなく終わるだろうと思っていた当方でありますが、1986(昭和61)年 4月に東京勤務となって、四谷からほど近い事務所に一時間ほどかけて通勤すること になりました。四谷の大木戸はぴんときませんが、四谷三丁目とききますと、 サンミュージック…

小沢信男著作 121

河出書房版「東京百景」の小説は、ほかにもあるのですが(それにしても初出に ついての記載がないのは残念)、すこし先を急ぎましょう。 第3章は「随筆 季節のある街」と題されています。小沢さんのあとがきには、 次のようにあります。 「 3の章の大木戸か…

小沢信男著作 120

小沢信男さんの作品「抜けて涼しき」を読んでいますと、これが「新日本文学会」 への挽歌のようにも思えてきます。「歯」というのは、自分の肉体の一部になった ような「文学会」のことで、Q友というのは、文学会でであった人で、そのなかでも とりわけイン…

小沢信男著作 119

小沢信男さんの「抜けて涼しき」は、旧制中学でであって、新日本文学会で同じ時期に 事務局長と機関誌の編集長という間柄であった小野二郎さんとの交流と別れ、それと 自分の歯を失った喪失感を重ねあわせてあります。 「抜けて涼しき」というのは、小沢さん…

小沢信男著作 118

小沢信男さんの「東京百景」には、「私の赤マント」のほか5つの短編小説が収録さ れています。そのうち「抜けて涼しき」は、自らの身辺に題材をとった作品であります。 私(わたくし)小説のようにも読めますが、「私」という言葉はでてきません。 「その頃…

小沢信男著作 117

河出書房版「東京百景」の「私の赤マント」から脱線してしまい、戻ることができず であります。野呂重雄さんは、小沢さんの作品の魅力について、いろいろと分析をして いまして、これはとても参考になります。「自分を弱者と位置づけて、世間的に強者と 位置…

小沢信男著作 116

野呂重雄さんは、小沢信男さんの作品は「文句なし面白いので論ずる必要はない」と いっているのですが、それでは話になりませんです。いくつかの切り口で、小沢作品を 取り上げるのですが、「わが忘れなば」に関連してつぎのようにあります。 「小沢信男の作…

小沢信男著作 115

小沢信男さんの作中人物である「写真家 牧野次郎」さんについての捜索を引き 続きで行ってみることにいたしましょう。ほかにもどこかに登場したような、しない ようなことです。(これは、これからの調査です。) 小沢信男さんの作品について、野呂重雄さん…

小沢信男著作 114

小沢信男さんの発表した小説はすくなくて、全部まとめても、そんなに大部に ならないでしょう。いつも文芸誌に発表していなくては、読者に忘れられそうで、 それがためにたえず書いていなくては不安でしょうがないという方ではありませ んので、本当にマイペ…

小沢信男著作 113

河出書房版「東京百景」のあとがきからの引用です。 「犬も歩けば棒に当たるし、人も生きていればさまざまな出会いがあって、その証拠に こうしてまた本ができました。 1の章の「いろはにほ屁と」「わたしの赤マント」「その白い手を」「抜けて涼しき」 は…

小沢信男著作 112

河出書房版「東京百景」には、帯がついていますが、それには次のキャッチコピーが 記されています。 「 明治・大正・昭和の東京万華鏡 銀座に生れ、銀座に育ち、東京に住むこと60有余年の著者が、小説で、俳句で、 エッセイで、懐旧と愛惜の思いをこめて描い…

小沢信男著作 111

河出書房刊「東京百景」によせた小沢信男さんによるあとがきの、最後のくだりは 田村義也さんの装丁に関してです。 「 田村義也氏の装幀が、山本松谷えがく『新撰東京名所図会」中の数葉を放胆に 駆使してくださいました。なんと願ってもないことか。かねが…

小沢信男著作 110

河出書房版「東京百景」の書影をかかげてみます。装幀は、もちろん田村義也さんと なります。 田村義也さんの「のの字ものがたり」から「東京百景」についてのくだりを引用しま す。 「小沢信男『東京百景』(1989年6月刊・河出書房新社)。編集者、福島紀幸…

小沢信男著作 109

小沢信男さんの名古屋豆本版「東京百景」は、豆本句集とあります。ここで小沢さんと 俳句についてのことを、辻征夫さんの文章から引用してみます。 辻さんは「余白句会」の中心メンバーでありますが。もちろん詩人で、引用する文章は 「ゴーシュの肖像」に収…