2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

小沢信男著作 77

昨日に引き続き、小沢信男さんの「ちちははの記」からです。 「俗間信仰は、非科学的な迷信で、現世ご利益一点張りの卑俗さだ・・という説がある。 それはそうだろう。学校でもそう教わった。 私も長じて中学生となるにおよんで、断然そう答えた。つまり、わ…

小沢信男著作 76

「いまむかし東京逍遥」の最後におかれているのは、「ちちははの記」ですが、これは 初出が「思想の科学」、先に「あほうどりの唄」に収録されています。 自分の父とか母についての文章を書くというのは、けっこうたいへんなことでありま して、どのような切…

小沢信男著作 75

当方は東京にはまったく縁遠い暮らしをしておりましたので、はじめて東京に いったのは15歳くらいの時で、中学の修学旅行でした。すでに東京オリンピックは 終わっていて、東京の街はずいぶんと、それまでとかわったといわれています。 当方と同年代の方であ…

小沢信男著作 74

「さて、このだらだら話にも、いよいよ結びをつけねばならないが、さいわいこの作品 の角川文庫版に、佐々木基一さんが『解説』を書いておられるので、その助けを借りま す。」このように小沢さんは記して「佐多稲子の東京地図」は終わりにむかいます。 この…

小沢信男著作 73

小沢信男さんの「佐多稲子の東京地図」では、「声楽家がきて、インター ナショナルの歌の稽古もするが、『そのときも私だけは声の出し方がちがう。』 この一行に要注目です。」とあるところが有名です。 23日に「図書新聞」のコラムでこれに言及しているもの…

小沢信男著作 72

佐多稲子さんの「私の東京地図」の舞台になっているところで、当方が住んで なじんだ場所は、目黒のみであります。東から西へむかってUターンするのが 目黒でありますので、佐多さんにとっては辺境でありましたか。 住まいは下目黒であったようですから、こ…

小沢信男著作 71

佐多稲子さんの「私の東京地図」は全12の短編の連作よりなります。 短編にはそれぞれ表題がついていますが、それと主な舞台は次のとおりです。 1「版画」 向島 2「橋にかかる夢」 向島 3「下町」 上野池之端 4「池之端今昔」 上之池之端 5「挽歌」 日本…

小沢信男著作 70

小沢信男さんの案内で佐多稲子さんの「私の東京地図」を読んでみることにいたし ます。 佐多稲子さんの「私の東京地図」の書き出しです。 「私の東京地図」は、三十年の長きに亘って歩いてきた道の順に、心の紙に写されて いったものだ。だから歳月ととみに…

小沢信男著作 69

小沢信男さんの「佐多稲子の東京地図」についてであります。新日本文学会には 女性の会員もいたのでしょうが、小沢さんが肖像を書いているのは、佐多稲子さんと 畔柳二美さんと、あとはだれがいたでしょうか。(畔柳さんは、「通り過ぎた人々」 に登場するた…

小沢信男著作 68

「いまむかし東京逍遥」を手にして、このなかからいくつかを話題にしようと思って いるのですが、これがなかなか難しい。最初におかれた「佐多稲子の東京地図」と 最後におかれた「ちちははの記」を取り上げるのが、一番よろしいとは思うのです が、「私の東…

小沢信男著作 67

「いまむかし東京逍遥」の収録作品と初出です。 佐多稲子の東京地図 新日本文学 78年11月号 昭和元年の一年前 高校国語教育 82年1月 わたしの佐藤紅緑 BOOKMAN 83年2月 新宿駅構内時計のこと サンパン 82年4月 四人の戦後日記 新日本文学 79年12月 夜の紙芝…

小沢信男著作 66

小沢信男さんのことは「東京っ子」とでもいえばいいのでしょうかね。 江戸っ子というのは、すくなくても何代かにわたって、東京の下町地区に居住して いなくてはいけないとか、きまりがあるようですが、当方が使う「東京っ子」には 面倒な定義はありません。…

小沢信男著作 65

「あほうどりの唄」に続いての著作は、「いまむかし東京逍遥」(晶文社刊 83年12 月)となります。小沢信男さんの著作で、書名に「東京」という地名がはいったものは、 これで三冊目ですが、「東京の人に送る恋文」は、東京に関しての文章が中心ではあり ま…

小沢信男著作 64

小沢信男さんの「あほうどうりの唄」について、拙ブログのどこかで、これは自費 出版のようなものでしょうかと記しているかもしれません。小沢さんのお話では、 自費出版ではなくて、印税はでないけれども費用負担はなくて、刊行部数の中から 一定割合で、著…

小沢信男著作 63

昨日から東京へときておりますが、昨日は睡眠不足のところにすこしアルコールが はいりまして、眠くてたまらず、たった三行の更新のために、何度も眠りこんでしま いました。 本日の午後からは谷中の小沢信男さんのところにお邪魔をしておりました。 今週末…

小沢信男著作 62

本日は東京へときています。佐多稲子さんの小説「私の東京地図」 をしのばせています。 あすは、谷中の小沢信男宅を訪問予定であります。

小沢信男著作 61

「あほうどりの唄」を話題にしていますが、「本と人」の章に続いては「五十歳の綴 方」という章になっていますが、この最後には、「ちちははの記」という文章がおかれ ています。この本のなかにある文章は、それなりに魅力があるのですが、ここに収録さ れて…

小沢信男著作 60

「あほうどりの唄」から、次に紹介するのは山本駿次朗著「明治東京名所図絵」の書評 です。この本は、「新撰東京名所図絵」という風俗画を残した「山本松谷」という画家 の足跡をたずね小説風の評伝だそうです。 これの書評で、小沢さんは、東京について次の…

小沢信男著作 59

佐多稲子さんの「私の東京地図」という作品に関しての小沢信男さんの評論は、「新日 本文学」に掲載されて、その後83年に刊行となった「いまむかし東京逍遥」の巻頭を 飾っています。「あほうどりの唄」の紹介が終わりましたら、また「私の東京地図」に つい…

小沢信男著作 58 

小沢信男さん「あほうどりの唄」の第三章は「本と人」というタイトルで書評と なっています。取り上げられているのは、花田清輝、長谷川四郎、佐多稲子、 関根弘、鎌田慧という新日本文学の人々とあまりなじみのない山本駿次朗という 方の「明治東京名所図絵…

小沢信男著作 57

「あほうどりの唄」に収録された「十歳の綴方ほか」の章にある作品は泰明小学校 2、3年の綴方がありまして、これはまさに珍品であります。この本は、この章に 収録された文章のために作られたのではないかと思われるほどです。あわせて掲載の 絵もほほえま…

小沢信男著作 56

小沢信男さんの「あほうどりの唄」についてです。日本キャラバン文庫8とあります が、これはほとんど自費出版のようなものなのでしょう。 ウィキペディアに、この本がなかったのは、単に書き落としただけで、小沢信男さん が掲載するに及ばずといったわけで…

小沢信男著作 55

小沢信男さんの著作紹介を続けます。本日のは次のものです。 「あほうどりの唄」 編集 日本キャラバンの会 出版大和美術印刷出版 昭和56年5月20日刊行 1000円 この「あほうどりの唄」は、詩集を取り上げた時に一度言及しています。 (ウィキペディアの小沢信…

小沢信男著作 54

小沢信男さんの著作を紹介していますが、3月に「本の立ち話」が刊行されて、 4月にはSUREから「小沢信男さん、あなたはどうやって食ってきましたか」がでま したので、小沢さんにすればバブル期のような賑やかさであります。 これに関連したイベントも開催…

小沢信男著作 53

小沢信男さんの最近の発表した文章 二つを目にしました。一つは毎月連載している もので月刊「みすず」の表紙裏にあるものです。これは「賛賛語々」というタイトルで 連載13回目となりました。 その月ごとに俳句を選んで、その俳句にあった文章を添えるので…

小沢信男著作 52

小沢信男さんの著作を紹介していますが、ちょっとこのあとに続く著作について記して みることにいたしましょう。 あほうどりの唄 大和美術印刷部 81年5月20日刊 いまむかし東京逍遥 晶文社 83年12月20日刊 句集 東京百景 名古屋豆本 85年8月15日刊 書生と車…

小沢信男著作 51

小沢信男さんの「大東京24時間散歩」の最後に紹介するのは、タウン誌「うえの」の 64年11月号に寄稿した「根津神社由来記」(一部改稿とあり)です。 「不忍通りをはさんで、西の根津・千駄木・向ヶ丘、東の谷中・桜木町。この界隈一帯 は、震災も戦災もさい…

小沢信男著作 50

小沢信男さんの著作紹介も50回となりました。寄り道ばっかしでさっぱり中身はない のでありますが、小沢さんの旧著はなかなか手にすることができないので、すこしは 喜んでくださる方もいますでしょう。 ここ数日は「大東京24時間散歩」(現代書林刊)をとり…

小沢信男著作 49

小沢信男さんの映画評「東京シネマ街」にある「UFOとユートピア」の冒頭から引用 です。 「もし一人だけ好きな監督をあげるとするなら岡本喜八、脚本家なら倉本聰。この二人 のコンビで作られた映画なら、これが見ないでいられるか。そこで見た。『ブルー・ …

小沢信男著作 48

小沢信男さんが紹介する映画「女生きてます 盛り場渡り鳥」の冒頭部分からの引用 です。(初出は「映画芸術」73年2月号) 「新宿の雑踏のなかを、ひとりの若い女のコが元気よく突っ切ってゆく。それにかぶせて タイトル『女生きてます 盛り場渡り鳥』(監督 …