2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

蒙古民族統一運動

岩波書店「図書」8月号に掲載の「三人の自然科学者の思い出」徳丸吉彦さんの文 章を目にして、昨日は「トゥバ紀行」を手にしておりました。先月に新刊となった 岩波新書の「ノモンハン戦争」田中克彦さんの関係で、なにか使える話題はないかと、 田中克彦さ…

岩波「図書」8月号

本日帰宅しましたら、岩波「図書」と「ちくま」が届いていました。 いつもの月よりもすこし早くに到着でしょうか。さて、このなかから、なにか材料をと 思っていましたら、つぎのような文章が目に入りました。 「 科学を専攻しても音楽学を専攻しても、生活…

わたしと筑摩書房11

柏原成光さんの「本とわたしと筑摩書房」を見ていましたら、こんなことが あったのかというエピソードにいきあたりました。 章の見出しは、「三浦和義氏に告訴される」というものです。 「 ちくま文庫に、小沢信男著『定本 犯罪紳士録』という本がある。 『…

わたしと筑摩書房10

柏原成光さんの「本とわたしと筑摩書房」は、会社経営の話として読んでも興味 深いものであります。倒産してから立て直す過程において、売れる本造りを進めると ともに、在庫管理のための倉庫建設、本社屋を売却して蔵前に移転する話など、 中小零細の経営者…

わたしと筑摩書房9

柏原成光さんの「本とわたしと筑摩書房」の書き出しには、次のように あります。 「 筑摩書房の歴史を知るのに欠かせない本が三冊ある。 まず、なんといっても第一は『筑摩書房の三十年』である。これは私が入社して 六年目、1970年の筑摩書房創業三十年を記…

わたしと筑摩書房8

筑摩書房の二代目社長であった竹之内静雄さんの著書「先師先人」でとりあげて いるのは次のような人々です。 竹内勝太郎 竹之内さんの文学の師匠 土井虎賀寿 著者が三高で教えをうけた哲学教師、奇人です。 深瀬基寛 三高、京大英文学の先生。 太宰治 いわず…

わたしと筑摩書房7

筑摩書房の二代目社長 竹之内静雄さんが恩師である「竹内勝太郎」ほか京都学派の 人を中心とした肖像集「先師先人」を新潮社から刊行したのは82年6月のことであり ました。 社長を退職してから自著を出すときには、かって在職した会社から出さないという…

わたしと筑摩書房6

筑摩書房2代目社長である「竹之内静雄」さんについての柏原成光さんの評を見て 違和感を感じたのは、それまでに竹之内静雄さんの著作にふれて、親しみをもっていた からであります。 竹之内静雄さんは、旧制高校時代に富士正晴、野間宏と同人誌「三人」をや…

わたしと筑摩書房5 

文庫、新書をのぞく単行本で、これまで一番購入したのは、どこの会社のもの でしょうね。簡単な記録はつけているものの、きちんとした統計はとっていません ので、断定はできませんが、たぶん筑摩書房は一番か二番でしょう。(筑摩が 一番でなければ、どこが…

わたしと筑摩書房4 

山口昌男さんが、筑摩書房の編集者であった「原田奈翁雄」さんについての文章 は、「人類学思考」(せりか書房)に収録されているのですが、これの初出は筑摩 書房からでている「渡辺一夫著作集」の月報でありました。 「 私は贋学生だったことがある。時は…

わたしと筑摩書房3 

「本とわたしと筑摩書房」を購入したことで、古い「筑摩書房の三十年」をひっ ぱりだしてきて、あわせて何か書きましょうとやっているのですが、なかなかうま くいきませんです。「筑摩書房」は歴史が新しいせいもあって、権威主義的なところ もよりすくない…

わたしと筑摩書房2

昭和15年の中野重治というのは、どのような位置にいたのでしょう。 「中野重治は、昭和13年に、執筆禁止になった。そのため、東京市職業紹介所を 通じて、東京市社会調査局千駄ヶ谷分室の臨時雇になった。戦時体制下で、危険な 影響をあたえると思われ、…

わたしと筑摩書房

筑摩書房は、1940(昭和15)年に会社が発足して、最初の本を出したと あります。戦前からあった会社ではなくて、戦中におこった会社です。会社の発足と して、なにもこんな悪い時期を選ばなくてもという感じをうけます。 昭和15年という年は、幻の東…

本作りの苦労5

出版を業としてやっていくときに、一番たいへんなのは資金繰りでありまして、 仮に本が売れたとしても取り次ぎを通したら、代金がはいってくるまでには時間が かかり、その期間をしのぐのに四苦八苦するというのは、良く聞く話です。 (雑誌「リテレール」を…

本作りの苦労4

「本作りの苦労」とは、もともと『本とわたしと筑摩書房」柏原成光をとり あげて、それと「筑摩書房の三十年」を読み比べするつもりでありましたが、 「筑摩書房の三十年」を見つけだすことができずに、ここ一週間ほどさがして おりました。たしか、この本の…

本作りの苦労3

本日も谷沢永一「紙つぶて」文藝春秋社から話題をいただきます。 先日に引き続きで、前金をあつめて本がでないというものです。 「秋山清は昭和36年6月、自宅に『プロレタリア詩研究会』なるものを設置し、広く 案内状をくばって、雑誌の予約金12冊分、…

本作りの苦労2 

昨日に谷沢永一さんの「紙つぶて」にありました「奇妙な予約出版」の一部を引用 しましたら、「酔霧」様からこの話題については青木正美著「古本屋群雄伝」 (ちくま文庫)にありと教えていただきました。まったく、そのことに気がついて おりませんでした。…

本作りの苦労

湯川書房 湯川成一さんの出版作業にともなうご苦労というのは、ほとんどお金に からむことではなかったでしょうか。大手の出版社であれば、編集者は企画が通れば、 そのあとは営業なりも参加した会議でコスト計算をして本を作っていくことになるので ありま…

私の本作り5 湯川成一

湯川成一さんの一周忌には、湯川さんがつくった本を手にして偲ぶことにいたし ましょうと記しましたが、湯川書房の初期の傑作といわれる加賀乙彦さん「雨の庭」を 手にしています。 この本は、72年の刊行で、すでに会社は退社しているのですが、発行所はい…

私の本作り4 湯川成一

湯川書房にゆかりの場所をめぐる旅というのを計画するとしたら、「仙台が親戚」 様に書き込んでいただいた喫茶店の名前とか、地名が参考になることです。 湯川書房の終焉の地となった京都時代のことは、ここ10年ということもあり、 ネットでもすこしは情報…

私の本作り3 湯川成一

湯川書房 湯川成一さんは、昨年の7月11日に亡くなりましたので、 本日は命日となります。 「私の本作り」は「季刊銀花」14号 1973年に掲載の文章ですが、 一昨日から本日にかけて3回に分けましたが、これは掲載時の章分けにした がったものです。…

私の本作り2 湯川成一

湯川書房 湯川成一さんの一周忌について話題にしている方は、ほとんど生前に 湯川さんと親交のあったかたでして、当方が知ったかぶりで話題にするのは、おこ がましくもありです。 本日に目にしたのは、詩人である時里二郎さんのブログ「森のことば、ことば…

私の本作り 湯川成一

湯川書房 湯川成一さんが亡くなって1年になろうとしております。当方は生前 湯川成一さんが刊行した普通版を数冊購入し、「季刊湯川」を定期購読していた だけですが、「季刊湯川」の思い出を拙ブログで取り上げたことから、湯川さんと 交流のあった「仙台…

中公新書の森4

「中公新書の森」を見ておりましたら、ノンフィクションライターの城戸久枝さんが 次のように書いています。(「城戸久枝」さんというと、先日までNHKでやっていた 中国の残留孤児であった男性が主人公となるドラマの原作者でありました。) 「 これまで出版…

本日は星娘忌 

小生のブログにいらっしゃる人の足跡をみておりましたら、「保倉幸恵」さんへの 関心から検索してたどりつく方がいらして、二年ほど前に最初に話題にし時とくらべ ますと、ずいぶんと関連のページも増えたように思います。 http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/2…

中公新書の森3

「中公新書の森」には、「思い出の中公新書」アンケートというのがありま す。179人の方が、それぞれ3冊の本をあげています。いまとなっては、 ブックガイドの定番となっている長田弘さんの「私の二十世紀書店」が岡崎武志 さんと岩波新書編集長さんのお…

中公新書の森2

「中公新書の森」というのは、中公新書が2000点となったのを記念してでた ものですが、非売品でコストをおさえたせいか、ざら紙が採用されていて、手にすると 意外なほど軽いのです。むかしもこのようなポケット本があったな。上質紙をつかった 中公新書…

中公新書の森

中公新書が62年11月に創刊されて、この5月に刊行点数が2000点を超えたと いうことです。当方が、中公新書を最初に購入したのは、何であったろうかと「中公 新書の森」の巻末にある2000点リストをながめています。これがでた時代には、 ほかには…

手紙が語る戦争6

「手紙が語る戦争」には、「ノモンハンからの書簡」という章があります。 ノモンハンで戦死した息子さんを深く悼む「遺勲録」をのこした人の孫が、その記録を 手がかりに、実家を探索してノモンハンで戦死した叔父さんの書簡30数枚の束を見つ けて、この記…

手紙が語る戦争5

「手紙が語る戦争」みずのわ書店を手にしていましたら、次のような記述があり ました。 「手で書いた文字からは、綴った本人の息づかいが聞こえてくるような思いが した。文字には魂がこもっている。そんな気持ちになったことを、今でも よく覚えている。今…