ひどい雨になり

 台風の目からは、ずいぶんと遠いのでありますが、こちらも夜になって雨が

ひどくなってきました。先程まではBS放送を見物しておりましたが、これも悪天

候が影響して受信できぬようになりました。このひどい雨はどのくらいまで続く

のでありましょう。

 たぶん、明日の朝には雨は小康状態となっているのでしょうが、パソコン作業を

しているところは、吹き抜けのところで、屋根にあたる雨の音が、けっこう大きく

聞こえてきます。屋外に雨にあたって困るものは、置いていなかったよなと思い

返すことにです。

 「敬老の日」ではありますが、いつもの月曜日でありまして、朝からパンの仕込

みをして、お昼をはさんでトレーニングにいって、午後にパンの成型をして、夜に

焼くという日程となりました。本日は粉を1.8キロ使用でありまして、これで、しば

らくのパンのストックが出来上がりです。

 ほとんど頭に入ってこないのではありますが、ぼちぼちと読んでいる岩波文庫

プルーストはなんとか第8巻の終わりにたどりつきましたので、何ヶ月かぶりで、次

の巻に進みます。第8巻は、最初のうちこれはページが進みそうだと思ったのですが、

途中からブレーキがかかってしまって、いつものペースです。

 第9巻目に入ったということは、なんとか半分は済んだということになるのですが、

第9巻も分厚くて苦戦しそうであります。このペースでいくと、あと2年くらいはかか

る計算でありますね。なんとか後期高齢者になる前に読み終えたいことであり。

 この巻でもそうでありますが、ところどころに、とても興味深いエピソードが

でてきまして、この話をもっと続けてよと思いますと、話題は転じていくのであ

りますね。

 この巻が刊行されたのは1922年とのことですから、ちょうど100年前のことで、

その時代に、こんなへんてこりんな小説が発表されて、それが受け入れられたこと

に驚くことであります。

アイドールかな

 本日は静かに一周忌を行うことになりです。あれから一年かでありますが、無事

に法事を終えることができて、すこしほっとすることにです。

 そんなわけで夜には、録画して見ることが出来ていなかったNHKBS放送の「アイ

ドル」(完全版)を一気に見ることになりです。

戦前から戦中にかけて新宿ムーラン・ルージュで活躍した明日待子さんをとりあげ

たドラマですが、当方はずいぶんと昔から、明日待子さんの名前は頭に入っていた

のでありますが、いったいどのような感じで人であったのかがわかっておりません

でした。

 明日待子さんは1920年生まれで、1999年に亡くなりましたので長命で、

札幌市に居住し、日本舞踊の指導をなさっていましたので、メディアにも登場する

ことが多く、その紹介には必ず若い頃は明日待子という名前でムーランにでていて

人気を博したとあるのでした。

 ちょうど、このドラマの放送の直前に、明日待子さんが結婚したお相手が経営し

ていた興行会社が業務破綻して話題となって、なんとなく不思議なシンクロを感じ

たことです。

 ドラマではありますが、ここでは戦前に誕生したレビューのアイドルとして描か

れていて、それこそ時代は違うものの「会いに行けるアイドル」として考えると、

今の人にもわかりやすいだろうという作りでした。

現代の会いに行けるアイドルは、ステージにあがっている皆がアイドル予備軍であ

るとすれば、明日さんの時代には、周りにはベテランさんなどもいて、センターに

入った明日さんだけが素人っぽさを売りにして、アイドルへとのぼりつめて行くと

スタイルでありました。

 客席の学生などは、制服にはちまきでありまして、あの時代にもこのようなオタ

クのようなスタイルの人はいたのでありましょうか。

 このようなドラマの、主人公役は顔がそんなに売れていないことが条件になりま

すでしょうが、すくなくても当方は、これは誰と思いながら見物していましたので、

そういうことからは制作側の思うツボであります。

 このドラマを見物してから、先月に角川文庫ででた本を手にしておりました。

そこには、次のように書かれているのでした。

「この頃のわたしは、アイドルという仕事が気になったいた。どうして世の中には

こんなにたくさんのアイドルがいて、オーディションには毎回何千人もの応募が来

るのか、それを知りたくてアイドルのオーディション現場に行ってみたいと思った。」

 素人がアイドルのオーディション現場を取材しようとしたら、オーディションに応

募するのが、一番の早道でということで、応募したら、どういうわけか絶対に合格

しないと思ったのに合格してしまったというのが、このあとに続くことになりです。

 著者は、BiSHのモモコグミカンパニーさんでありまして、インサイドから見た

アイドルの世界についての興味深いドキュメントとなります。

 

薬に詳しいことであり

 図書館から借りている絲山秋子さんの「逃亡くそたわけ」を読んでいます。

 先日に絲山さんの新作「まっとうな人生」を読みましたら、この作品は「逃亡

くそたわけ」の続編のようにもなっていることから、3年ほど前に読んですっかり

と忘れている「逃亡くそたわけ」を、また読んでみようと思ったのです。

 当方が2019年にこの本を読んだのは、てっきり安価な文庫本を購入して、そ

の本でと思っておりましたが、確認をしてみましたら、前回も図書館本でありまし

て、3年を経て、また借り出したということになります。

 

 「逃亡くそたわけ」は、若い男女二人が入院中の病院から逃亡して、古い自動車

(白のマツダルーチェ 昭和62年マニュアル車という渋さ)で、逃避行(?)を

企てるというロードムービーのようなお話。

 若い二人が出会ったのは、「福岡タワーに近い百道病院という精神病院で、男女

共同の開放病棟」とのことです。女性は21歳の福岡の私立大学生で、男性は大学

を卒業し、NTTの子会社に入って福岡に転勤してまもなく不調となった24歳であ

ります。

 この二人は、どちらも若くてそんなに病歴は長くはないのでありますが、二人の

会話には、当然のことのように薬の名前があがってきます。

「あたしはそんな物騒なことより、ちゃんと効く薬が欲しかった。

レボトミンないと?』

『そんな薬聞いたこともない』 

ヒルナミンがあるやん、ヒルナミンレボトミンは一緒の薬たい』

『ああ、それ眠剤の補助に使ってる。』

『あとは何飲みようと?』

ロヒプノール

『ロヒはあたしも要るっちゃが。ようけあると?』

『一シート』

 残りはあたしには効かないものばかりだった。なごやんもへなちょこだが、

薬もへなちょこ薬ばかりだ。あたしは今は躁が強いから抗鬱剤は要らないけれど

リーマスがいる。どこかでメレリルも手に入れたい。」

文中でカタカナで表示されていて、なじみがないのは、すべて薬(もちろん医師の

処方がなくては手にすることのできないもの)の名前でありますね。

 ここに登場する薬のことをご存知の方は、自ら服用しているか、それとも知友人

に服用している方がいるからでありますね。

 この小説のお二人は、そんなに長いこと病気と付き合っているわけではないの

ですが、すでに病歴50年なんて人もいることでありまして、そうした人たちは、

自分の身体で薬の効果を確認していることもあって、自分の身体にどの薬が効く

のかはよくご存知でありまして、若い医師よりも、この病気については身にしみて 

知っていたりです。

 そんなこともあって、ついつい診察室では若い医師に対して小馬鹿にするような

態度をとって、医師に嫌がられたりするようです。

なんたって、机上の学習ではなく、経験を通じて学んでいる人は叩き上げで、良く

わかっているのですが、ついつい行き過ぎたりするのでありますね。

 

届いた本と借りた本

 本日の朝にNHKBSTVを見ていましたら、来週からの朝の連続ドラマの案内を

していました。ずいぶん昔に放送された「本日も晴天なり」というものをやると

のことで、父親の反対を押し切って放送局のアナウンサーになった女性のドラマ

なのだそうです。この時に、このモデルになった女性は近藤富枝さんと紹介され

ていました。

 それって、当方が先日まで話題にしていた菊富士ホテルの著者さんではありま

せんか。そう思っていましたら、本日に注文してありました中公文庫版「本郷

菊富士ホテル」が届きましたです。

 この文庫本のカバーにあります著者紹介のところを見ますと、たしかにであり

まして、次のように記されていました。

「東京日本橋に生まれる。昭和18年、東京女子大学国語専攻部卒業。同年文部

省教学局国語科に入り教科書編纂に従事。翌19年、日本放送協会第16期放送

員試験に合格、アナウンサーとして勤務、戦後退職し、文筆生活に入る。」

 ほんとだ、先日にはウィキペディアにも目を通していたのですが、本日になるま

で、近藤富枝さんと朝ドラは結びついておりませんでした。

 その昔の朝ドラ「本日も晴天なり」は、1981年の放送だそうです。現在放送

中の「ちむどん」は、本日の放送では1980年が舞台でありましたので、その頃

に放送されたということですね。

 図書館から借りてきた本は何冊かあるのですが、まずはこれを。

 ちょっと興味はあるが、自分では買わないだろうなというたぐいの一冊です。

ブックガイドとありますので、本が次々と紹介されています。

「本とはなにか」ということで、装丁/ブックデザインを考えるための手がかりと

しての本を紹介しているところをながめてみることになりです。

ここを担当している長田年伸さんは1980年お生まれとありました。当方の

息子と同年(本日の朝ドラ「ちむどん」のヒロインが出産した息子とも)の

方でありまして、この人たちはどのような紹介をしていくのでありますかです。

 この方の文章の終わりのほうには、次のようにありです。

「現在、日本のブックデザイン / 装丁は何度目かの変革期を迎えている。過去の

変革がデザインの現場を支える技術変動によるものであったのに対し、現在の

それは出版産業のそのものの揺らぎに起因している。・・・1996年にピーク

を迎えた出版経済は2022年現在、その半分まで落ち込んでいる。本が商品で

ある以上、その存立要件は出版産業の影響を受けざるを得ない。」

 本当に、電子書籍におけるブックデザインというのは、どういうことになるの

かな。この本のどこかで話題にしているでしょうか。

二週間ははやい

 図書館から借りている本の一部は返却期限をむかえました。二週間というのは

長いようでありますが、本を借りているとあっという間であります。特に読めて

いないものに関しては。

 返却期限を迎えた大物は「周作人自伝」でありまして、これは興味のあるとこ

ろだけをつまみ読みしようと思っているのですが、これもさっぱりです。

これまでのところでのぞいてみてみたのは、周作人が日本に留学時代の下宿につ

いて書かれているところでした。

 周作人が留学で日本に来たのは1906(明治39)年のことのようです。

菊富士ホテルは1914(大正3)年創業ですから、周作人が来たときにはまだ

菊富士ホテルはなかったことになりますね。

 周作人の東京での下宿屋についての記述です。

「私は最初東京に来て、伏見館という下宿屋に住んだ。伏見館は東京の本郷湯島

二丁目にある、中の下の下宿屋だ。といっても別になにか根拠があってではなく、

自分で勝手にそう値踏みしたまでである。もともと下宿屋は一月いくらで部屋代

と食事代を計算し、一日いくらで計算する旅館と同じでなく、そこが最大の違い

だ。下宿屋それ自体の等級にいたってはピンからキリまであり、大きいのは三、

四階もある建物で、使用人も多い。旅館とそうした点は様子が似ている。」

 周作人は伏見館では「部屋代と食事代は毎月十元をでなかった」と書いていま

す。十元とはどのくらいであるのかわかりませんが、「留学経費として支給され

る金はたいへんすくなく、国立大学に進学すると毎年日本で五百円。専門学校は

四百五十円、それ以外の学校だろ一律四百円、月に三十三円もらった。これでは

はなはだ手元不如意」と記されています。

 瀬戸内さんの「鬼の栖」で書かれている菊富士ホテルの下宿料の話であります。

「うちは下宿代が高いのでも有名でした。まわりが二十三、四円の時、四十四、

五円いただいていましたから。」

 ということで、高級下宿屋といわれ、一番上にランクする下宿屋である菊富士は

平均の倍ほどのお金がかかったのでありますね。月に三十三円の留学支給金では、

とうてい菊富士に住まうことはできないことです。

「伏見館は、部屋数が少なくて、住人は十人に満たず、しかも多くは岩倉鉄道の学

生で、志がごく低いため、魯迅に見くびられてはいたが、勉強には身を入れ、終日

学校へ行っていて、夜も静かだったから、しばらくは一緒にいられたのである。」

 下宿というイメージからは、伏見館のほうが標準的なものであるようです。

 それにしても、高級下宿屋に金も払わずに住み続けるというのは、どういう神経

なのでありましょうと、大杉栄のことを思ってしまうことです。

 

 

著作権ビジネスのお話で

 図書館から借りている朝妻一郎さんの「高鳴る心の歌」という本を読んでおり

ます。

 これはポピュラー音楽愛好家であった朝妻さんが、ひょんなことから転職して

音楽出版社の社員となり、音楽著作権の世界で生きていくという話です。

音楽出版社と書きますと、なんとなく楽譜とか音楽雑誌でも印刷する版元のよう

に思えますが、朝妻さんにいわせると(この本のはじめにで書いています)、次の

ようになります。

「作詞家・作曲家かたその作家の書いた楽曲の著作権を預けていただき、その著作

権が1円でも多く収入を上げるよう、ありとあらゆる努力をするのが、音楽出版社

の仕事です。」

 その昔でありましたら、日本ではレコード会社というのが、そういうのを仕切っ

ていたのでしょうが、だんだんと欧米との音楽ビジネスが活発化することになった

ことによって、このような役割がクローズアップされてくるようになってきたわけ

ですね。 

 レコード会社は、もちろん自分のところの専属歌手の歌をあちこちに売り込むの

でありますが、60年代になってからは専属というようなしばりでない歌い手さん

などがでてくるようになりましたから、そういう人たちをレコード会社に売り込ん

だり、放送局などに企画を持ち込むなんてのを仕事にしたようであります。

 朝妻さんは放送局が設立した出版社でありますが、タレント事務所のものや、

プロモーターが設立したものなど、設立の背景は様々であったようです。

 なかには、日本だけで通用するルールなんてのもあったようで、これは欧米から

相当に問題視されて、結局は世界標準のルールに一本化されたとありました。

 著作権におけるこのようはローカルルールは、翻訳の世界にあったと宮田昇さん

の本で見た記憶があるのですが、1970年代に入りますと、国際化は一層進み

ますので、ローカルルールで何が悪いとはいえなくなりますね。

 その日本だけの音楽著作権の取り扱いについては、この本で初めて知ることに

なりました。

内務省はまず34(昭和9)年に著作権法を改正し、『放送局がレコードを流す

時は、出所を明示すれば演奏使用料を支払わなくてもよい』という、世界的な基準

からしたら問題になりそうな日本独自のルールを作ってしまった。つまり、放送局

は欧米の音楽出版社に対して、それほど数の多くない生演奏の使用料は仕方なく払

うが、数量が多く金額の大きくなるレコードを使用する分に関しては一銭も払わな

くてよい、という法律を決めてしまったのである。

 これが改定されたのは、70(昭和45)年も著作権法が全面改定された時で、

それまでまかり通っていた特殊な日本ルールに対して、64年の東京オリンピック

開催を契機に世界各国からクレームがつけられ、その6年後の著作権法改正で取り

消されるに至ったのである。」

 宮田昇さんが書いていた「翻訳権十年留保」というルールも1970年の法改正

で規定が変わったとありますので、1970年の法改正で、やっと国際標準になっ

たということでしょうか。 

 

うれしいことと「本の雑誌」

 本日はうれしいことがいくつかありました。一番うれしいことは、しばらくは

口外せずにしまっておくことにいたしましょう。

 小さなうれしいことは、外出先で腕からするりと落ちてしまい紛失したスマート

ウオッチが、施設の受付に届けられていて、再び手にすることができたことです。

安いものでありますが、一年半ほど使っていますと愛着がわいていて、見つからな

くなった時は、すこし落ち込みましたです。どうやら、施設のスタッフが落ちてい

るのに気づいて保管してくれていたようですが、良かったことです。まだまだ世の

中捨てたものではありません。

 野暮用から戻りましたら、「本の雑誌」10月号が届いておりました。

 今月の特集は「あなたの知らない索引の世界」というものでありまして、表紙に

は赤字で「索引のない本はただの紙束である!」と刷り込まれています。

 すべての本にとはいいませんが、これは索引がなきゃだめだよなと思うことがあ

りです。ほんとにそういう時は、「索引のない本はただの紙束」(これは三中信宏

さんの言葉だそうです。)という気分になります。

 当方も、必要にせまられて索引のようなものを作らなくてはと思ったりするので

すが、そういう実用面からも、今回の特集は参考になるようです。

 その昔の活版印刷の時代と比べますと、電子媒体になっている現在は、索引作成

はパソコンソフトを利用するというのが一般的あるようです。

 今回の特集には、「自らエクセルとワードで索引のための見出し語と頁数をリス

ト化するソフト機能を開発した校閲T氏」とありました。どのような仕掛けになる

のかはわかりませんが、エクセルとワードを使ってというのは、当方でもできそう

な感じであります。

 もうひと方、筑摩の編集者さんは、「私はワープロソフトの一太郎を使って索引

作成をしている。情報処理技術遺産にも指定されているこの名ソフトには、初期か

ら索引作成機能が実装されている。・・・だが一太郎を使って索引をつくっている

編集者には一度しか会ったことがない。便利なものが知られていないのは残念だ。」

と書いています。

 この編集者さんの一太郎愛が感じられて好ましく思いましたです。当方は、PCを

使い始めてからはずっとワード利用で、一太郎はソフトは一太郎で作成された文書

を読んだり、変換したりするためにしか使ったことがありませんでした。

 ガラパゴスと言われようとも、日本語ワープロソフトとしては一太郎のほうが使い

勝手が良いのでしょうが、パソコンを買ったらおまけについているソフトに負けて

しまうというのが、この20年くらいのことでありますね。