読了には至らずか

 本日の朝のふとんの中で、落合勝人さんの「林達夫 編集の精神」を読んで

おりました。ほんとちびちびとでありまして、本日でひとまず本文は終わりま

で行ったようなのですが、これがさっぱり読めたという気分になりません。

もう一度頭に戻って読み進めなくてはいけないようですが、それはできそうも

ないので、ほとんどうまく読めずにということで終わってしまうのだろうか。

 落合さんのあとがきには、次のようにありです。

林達夫を主題として本として真っ先に思い浮かぶのは、渡邊一民『林達夫

その時代』と、高橋英夫『わが林達夫』の二冊である。上記以外に、石川淳

池澤夏樹、海老坂武、菅野昭正、久野収多田道太郎中川久定鶴見俊輔

萩原延壽花田清輝藤田省三山口昌男四方田犬彦など多くの論者たちが

彼の作品や事績を評してきた。

 ただし、鷲巣力の論考を除き、その大半は『書く人』としての活動に焦点を

当てたものである。」

 門前の小僧でありますからして、林達夫さんに関する本を集めておりまして、

渡邊一民さん、高橋英夫さんはもちろんのこと、そのあとにずらっとならんで

いる方の名前を見ても、岩波文庫とか筑摩書房から出た本の解説など思い当たる

文章があることです。 

 落合勝人さんのこの本では、編集する人としての林達夫さんを描くことになる

のですが、そのあたりの意味合いがピンとこないこともあって、ストンと落ちて

こないのでありましょう。

 それにしても大変な労作でありまして、豊富な注も含めて読みどころ満載で

あります。とにかくポイントだけでもまたつまんで振り返りをしてみることに

いたしましょうぞ。

 

満月に月食だが

 本日はほぼ満月に月食が重なることになったのですが、ちょうど月が登る

時間には雲がかかっていて、お月さんを見ることができませんでした。

 その後は、少しはお月見ができたのでありましょうか。

 本日はあれこれとありまして、自宅に戻ってからパソコンに向かってネット

で作業であります。クリスマスギフトに入れるものを注文したり、チケットの

確保をしたりでして、このところネットに頼ることが多いことです。

 そういえば、先日に先日に訪れた文房具屋さんの一階にはテナントでプレイ

ガイドが入っていたのですが、それが姿を消してディスカウントチケット屋さん

となっていました。昔に人気ある公演のチケットを確保するというときには、

この店の前に行列(それこそ徹夜で並ぶ)ができたもので、当方が初めて行った

山下達郎さんのライブは、そのようにしてチケットを確保したものであります。

 まだなんとかチケットは紙のものがありますが、ぴあなどが扱う前にはあと

あとまで保存しておきたいデザインの入場券がありましたですね。ずいぶんと

昔の話となります。

 どんどんとものは姿を消して重さを失っていくのでありますが、当方は重さの

あるものが好きでありまして、本日は図書館から3kgを超える重さの本を借りて

きました。もちろん一冊ではありませんです。

 本日借りたもので一番重たいものは、次のものでありました。

 芦原すなおさんの「青春デンデケデケデケ」は、直木賞を受けた青春小説の

傑作でありまして、ギターにもバンドにも縁のなかったのですが、この小説は

楽しみましたです。

 そんなこともあって、その続編が出て図書館にありましたら、まずは読める

かどうか分からなくても借りて、ページをめくってみなくてはです。

 もう一冊は図書館のありがたさを感じる比較的値段の高いものでした。

 北海道他の在来馬について書かれていて、あちこちの山仕事で活躍していた

馬というのは、こういうのであったなという興味から、借りてみることにです。

1ページでも読むことができればそれでいいや。

 

最近買った本など

 先日の遠征ではコンサート会場近くの書店によることができました。いつも

行っているところではないので、どこにどんな本があるのかよく分からずで、

チェックできたのは文庫、新書くらいでありまして、小説系の本はずいぶんと

隅っこの方に追いやられていて、しかも並んでいるのは少なかったのですが、

あれで全部であったのかな。小説などがコミックよりも売れないのはわかるけ

どもね。

 文庫で買ったのは、昨日に話題にした「黒島伝治作品集」と徳田秋声「あら

くれ・新世帯」の二冊、いずれも岩波文庫でありました。

 徳田秋声作品は、その昔に岩波文庫に収録されていたのですが、今回は再編

されて代表の二作品で一冊となったものです。このようなことでもなければ徳田

作品などは買うことはなかったでしょう。(文藝文庫などでしたら、値段が高く

て手が出ないことで)

 こちらの徳田秋声文庫は、解説を佐伯一麦さんが書いているのが魅力でありま

して、そちらに釣られて購入を決めたのかもしれません。作品は読めなくても、

解説には目を通すことにいたしましょう。

 このほかでは気になる岩波新書を一冊購入です。

 あと何年かすれば独自路線を歩んでいたチトー率いるユーゴスラビアという

国家があったことは忘れられてしまうのでしょうが、優れたリーダーなのか、

独裁者なのかチトーなき後の混乱を思うと、自分とは関係のないところでの

独裁者というものを、おもわず肯定してしまいそうであります。

 隣国にも非常に複雑な民族構成の国家があって、かの国も内戦が勃発したら、

一体どういうことになるのかなと、ユーゴとかロシアのその後のことを見ると

暗くなってしまうことです。

日傭という言葉

 宇江敏勝さんの「山びとの記」を手にしているのですが、山仕事の歴史を

学ぶことができて、大変参考になることです。

 山仕事というのは、かってこの地方の主力産業の一つでありましたが伐採が

進んで植林が追いつかずで、そのうちに価格の安い輸入材にやられてしまって、

山が荒れていくというパターンになっています。

 その昔の山仕事というのは、きつい、危険、低賃金で封建的な雇用関係とい

うもので、とっても町の人にはつとまらないものであったようです。

 本日に読んでいたところには、「キリ」と「ダシ」という言葉が出てくるので

すが、これは木材を伐ると搬出する人をいうのだそうです。

「ダシのことを別名ヒヨウともいった。漢字で書けば「日傭」ということになる

が、この場合は、キリ、ソマ(杣)、コビキ(木挽)、ウマ(木馬)に並列した

職種名であって、土木や植林は日傭いであっても、ヒヨウとは呼ばなかった。

近ごろでは混同されて使われてもいるが、かっては木材をシュラという設備でもっ

て山から落とし、谷川を流送する、特別な技術を持った職人たちを指していたので

ある。」

 宇江さんの山仕事の世界では、日雇いさんのことを日傭というのですが、それを

ヒヨウと表示すれば、特別な技術を持った職人たちのことをいうのですね。

 最近はほとんど死語になっている日傭という言葉ですが、最近手にした文庫本で

目にすることになりです。

「『やっぱり百姓の方がえい。』とばあさんはまた囁いた。

『お、なんぼ貧乏しても村に居る方がえい。』とじいさんはため息をついた。

『今から去んで日傭でも、小作でもするかい。どんな汚いところじゃって、のんび

り手足を伸ばせる方がなんぼえいやら知れん。」

 「日傭」にはひようとふりがながふられていました。これは1925年9月に発表

の小説「老夫婦」の一節にあったものですが、老夫婦とは言っても夫は六十になっ

たばかりで、妻は五十半ばですから、百年前の日本は立派な年寄りか。

 それにしても日傭という言葉を、日をおかずに目にするとは不思議なことであり

ました。

 ちなみに小説の方は、岩波文庫に入った「黒島伝治作品集」に収録のものです。

宮本さんのおかげで

 このところずっと宮本浩次さんに元気をもらっています。元々は家人がはま

りまして、まさに婦唱夫随でありまして、これは家庭円満にもつながることで

あります。

 この元気づけは、それに終わらずで拙ブログにも元気を与えてくれているよ

うです。宮本さんのライブのことを報告しましたら、ふだんほとんど縁のない

人たちが覗きに来てくれるようで(これはTwitterに連携してるせいでしょう)、

最近はひどくアクセス数が少なかったのが、少し賑やかになっています。

 これは当方が話題にした若い女性たちのグループ「BiSH」さんの時にはなかっ

たことで、やはりファン層が大きく違うのであるなと思うことです。

 いつまでも宮本さん頼りというわけにもいきませんので、またいつもの地味

な本を話題にすることにです。

 先日のライブへと向かう電車の中では持参のヤマケイ文庫「山びとの記」を

開いていました。

 著者は昭和12(1937)年生まれでありますので、ひと回り以上年長です。

子どもの頃から家業である炭焼きの関係で人里離れた山の中で暮らし、その後

長じて山仕事に従事されていました。傍ら文学活動も行っていて富士正晴さん

率いるVIKINGにも参加していました。

 ちょっと変わった経歴でありますが、最初の著書となる「山びとの記」は

1980年5月に中公新書の一冊として世に出たものだそうです。

この時の担当編集者である宮一穂さんの文章が転載されて「解説に代えて」と

なって巻末に収録されています。

 それには、次のようにありです。

「宇江さんと初めて会ったのが1979(昭和54)年。古い手帳を操ると、日付

は6月12日、場所は大阪。その二年前に作った中公新書『おやじの国史

むすこの日本史』の著者、『VIKING』の同人、福田紀一さんの同席、紹介のも

とだった。自分の半生を書いてもらえないか、それは同時に戦後の林業史に

なるはずだ、という若僧の依頼だった。『やってみます』。その時宇江さん

四十一歳、こちらは九歳下。」

 この本を版元に引継いだのは福田紀一さんでありましたか。

福田紀一さんといえば、最近では山田稔さんの文章に登場するくらいでありまし

て、最近の「ぽかん09」にも重要な役割で登場します。 

 当方は1973から1976年頃にかけて河出書房から刊行された福田紀一さんの小

説を楽しんでいたせいもありまして、ほとんど名前を目にすることもなくなった

福田紀一さんの名前を目にしますと、ついつい反応してしまいます。

vzf12576.hatenablog.com

余韻冷めないことで

 昨晩は、宮本浩次さんのライブ公演に足を運んだのですが、本当に彼の持って

いる歌の力を見せつけられ、圧倒されました。これだけ密度の濃いライブをでき

る歌い手さんは、日本にはほとんどいないだろうと思いました。

 また、彼のバックバンドのメンバーがすごいですからね。小林武史さん率いる

四人バンドとボーカルの宮本さんだけで、コーラスもダンサーもないという歌と

音楽を届けるコンサート。まさに大衆音楽の真髄ということで、全国ツアーの

後半戦でもう一度足を運んでみようと強く思いました。

 チケット確保は、これからますます大変になりそうな予感でありますが、

この時代に宮本浩次がいることの幸せであります。

 昨日の会場はコンサートホールでありまして、キャパ二千のところ半分ほど

に抑えてでしたが、掛け声禁止と言われても思わず声が出そうになるのを抑え

られずで、贅沢な時間を過ごしました。このチケットを確保してくれた家人に

は感謝するしかありませんですね。

 昨日のコンサートの二曲目で、思わずほろっとしてしまったのを貼り付け

です。


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これから遠征です

 本日は家人が楽しみにしているライブの日でありまして、これから遠征して

の参戦となります。

 一昨年からのソロ活動で人気急上昇(? というか新しいファンを獲得した)

宮本浩次さんのものです。コロナ禍ということもあって、会場に対しての入場

制限が実施されていて、チケット入手がとっても大変なものとなっているよう

です。チケット確保の抽選に何度かはずれて、最後のチャンスで見事に当選し、

そこそこ良い席が当たったようです。

 先日の新聞のテレビ欄の読者の声のところには、77歳の女性が昨年までは

名前の読む方さえ知らなかったのに、今はその歌声にぞっこんとの投書が掲載

されていました。恐るべし宮本人気であります。

 日本のAORの歌い手さんたちは、グループのリードボーカルをつとめている方

が多くて、そうした人たちがソロで歌うと、それまでのキャリアが生きるので

ありますね。


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