この本見てみたいな

 購読している新聞の読書欄は、新年度になって一部の書評委員さんが変わっ

て、ここのところ新しい委員さんたちが積極的に登場しているようです。

記者の委員さんも、論説とか編集という役付ではなくて、肩書なしの記者さん

が入ったようで、こういうのは新鮮でよろしいことです。

 そうした若い人があげた本を話題にしたいのでありますが、今回(8日付)

の書評欄で、手にしてみたいとおもったのは、次の二冊でありました。

羊皮紙のすべて

羊皮紙のすべて

  • 作者:八木健治
  • 発売日: 2021/02/26
  • メディア: 単行本
 

  当方は紙の本しか持っておりませんが、本は紙の上に記録されたものば

かりではありませんですね。最近であれば金属にプリントされたものがある

でしょうし、その昔には羊皮紙に記されたものもありましたです。

 この時代の日本に羊皮紙工房というのがあって、それの主宰者でワーク

ショップなどもやっておられる人が書いた本とのことです。

どうやって羊皮紙を作って、それに文字を記録していくのか、日本語を記し

たら、どのような見えかたになるのか、なかなか興味のあることです。

 もう一冊見たいと思った本です。

  1996年8月に亡くなった音楽評論家の著作となります。どうしてこのような

本がでることになったのかですが、編者のところに高崎俊夫さんと朝倉史明さん

の名前がありますので、この人たちのおかげでありましょうか。

版元は DU BOOKS というところだそうです。これなどはよほどの書店でな

くては目にすることはできないでしょうね。

 

本日入手の本

 知人に購入を頼んでいた本が入ったよと連絡がきましたので、本日に受け

取りに行くこととしました。ここ何年か一緒に買っておいてと頼んでいるの

ですが、昨年はずっとほっておいて6月も終わり頃(ちょうど知人宅のバラが

見頃になった時)に伺いました。ことしは、すぐに受け取りに行くことにな

りですが、これは日程の都合でありますね。

 明日から相撲本場所が始まるものですから、そのTV中継を見物するときの

必携である「全相撲人写真名鑑」が付録でついている「相撲」5月号が、本日

入手の本でありました。(ほとんど本誌のほうは見ることもなしで、付録の

名鑑は、これから先の一年間場所ごとに手にすることになりです。)

 昨年は遅くにとりにいったのは、コロナウイルスのために本場所が中止と

なったからであります。今年は、無観客になるのかもしれませんが、無事に

場所は開催されるようで、ひいきの力士も関取に戻って、応援に力がはいる

からでありますね。

  相撲といえば、小谷野敦さんが40年の相撲ファンということで、3月に

ちくま新書から、これまでの相撲への思い入れを一冊にまとめています。

大相撲40年史 ――私のテレビ桟敷 (ちくま新書)

大相撲40年史 ――私のテレビ桟敷 (ちくま新書)

  • 作者:小谷野 敦
  • 発売日: 2021/03/08
  • メディア: 新書
 

  このほんの帯に書かれていたことは、本日に「相撲」を受け取りにいった

知人のおはこでありまして、そのことを伝えましたら、同じような考えの人

がいるものだなと感想をもらし、早速に小谷野さんの本を買ったとのことで

した。本日は、この本について感想を聞くのを忘れてしまいました。

 小谷野さんと知人に共通するくだりは、次のようなところでありました。

「 大相撲のファンになったのは栃赤城のおかげで、名前からわかるように

春日野で、群馬出身とあって、サーカス相撲で大成せず、地元に戻って家業

をついだけども、早くに亡くなった。」

 そうなんですよね、いまでもサーカス相撲という言葉は栃赤城という力士

のためのものでありまして、最近も小兵でサーカス相撲と評されたりする

力士がいましたが、サーカス相撲は怪我をして短命に終わるという前例が

あることもあり、サーカス相撲と言われないような取り組みに徹するという

のが力士のスタイルとなっているようです。

 サーカス相撲は、ファンにはたまらないのでありますが、怪我をしたら元

もこもないですね。

 

スルッと週末に

 図書館から借りている本のほとんどを手にすることもなしで、一部は返却

期限を迎えることになりました。これはいかんであります。すくなくとも前

がきと後がきくらいには目を通さなくてはです。

 ということで、この週末にすこしでも読んでやろうと思っていますのは、

芳賀徹さんの「外交官の文章」であります。

外交官の文章 --もう一つの近代日本比較文化史 (単行本)

外交官の文章 --もう一つの近代日本比較文化史 (単行本)

  • 作者:芳賀 徹
  • 発売日: 2020/06/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  図書館で手にして、これの目次を見ましたら外交官でポール・クローデル

吉田茂についての章があるのがわかりました。特に、クローデルは、ちょっと

前にクローデル研究者であった渡辺守章さんが亡くなったこともあって、これ

を機に、岩波文庫「繻子の靴」をのぞいてみようかなと思っていたので、その

前に予習のつもりでありました。

 そんなわけで「外交官の文章」ではポール・クローデルについてのところを

のぞいてみることにしたのですが、ちょっとうまく読めずで苦戦でありました。

何かのタイミングで読めたりしますので、その時をちょっと待つことにです。

 その後におかれている「ジョージ・サンソム」については、その夫人である

キャサリン・サンソムさんの話題からスタートして、こちらのほうが短いし

とっつきやすいことです。

 キャサリン・サンソムさんは岩波文庫にはいっている「東京で暮す」の著

者でありまして、この芳賀さんの文章を読みますと、この本も是非に読んでみ

たいと思うことです。

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)

 

  その昔に、「東京で暮す」が岩波文庫になったとき「図書」でそれについて

の文章を読んでいるはずですが、そのことはまったく記憶に残っておりません。

上に掲げられている「東京で暮す」のカバー絵について、芳賀さんの書くところ

を引用です。

「この書物にそえられた、詩人西脇順三郎の前夫人マージョリーによる四十二点

の挿画(文庫にも復刻)も、文章とよくひびきあっていてまことにたのしい。

まさに女ロートレックともいうべき軽妙洒脱な筆致で、本書にあふれる『さなが

アール・デコ・ジャパン風物詩の雰囲気』(牧野陽子評)を、いよいよゆたか

なものにしてくれている。」

 この文庫本が刊行となったころには、この時代の日本にはほとんど興味がな

かったのでありますね。それから27年で、当方もそれだけと年齢を重ねたと

いうことでしょうか。

限定本が届きました

 このところ欲しいと思う本は、ひっそりと売られているものが多くて、

そのほとんどはAmazonでは取り扱っていないものであります。

 その昔の本好きたちが書籍を入手するために、かなりの労力を費やして

いたと思われますが、本の歴史においては、そちらのほうがずっと長いので

ありまして、入手するにすこし手間がかかるもののほうが、手にした後に

愛着がわくようであります。

 ということで本日に届いた限定本の話題です。限定といっても、これは

豪華限定ではなくて、単に好事家むけに少部数作られて、販売されている

非商業出版物でありました。

 部数は500部だそうですから、これを入手できた人は、あとあと幸運

であったなと思われることでしょう。

 ということで、それの書影を掲げます。

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 林哲夫さんがやっていらっしゃるブログ「daily-sumus」の2006から2008年

のものから抜粋して再構成したものを「日々スムース」という紙の本とした

ものです。ネットの横書きから紙の本は縦書きで、本にまつわる話が書かれた

文章は紙で読むのが一番であります。

 daily-sumusは古本系の話題が多くでるブログでは老舗でありまして、今も

続いているのですが、こうして15年も前のものを読ませていただきますと、

その時代の記録として、大変貴重なものであり、すでに鬼籍に入られた方々の

往時の姿も生き生きと描かれていることです。

 本日はパラパラとページをめくってみて、林哲夫さんにしか書くことのでき

ない湯川書房主とその本づくりのくだりを引用することに。

湯川書房の本はどこか間の抜けたところがある。たいていのプライヴェット・

プレスはこだわりが激しく、ゆとりのない精密さや完成度を求めるものだ。

ときにそれは窮屈に感じられる。そういう傾きのあまりない湯川書房の、ある

意味、不器用な本作りは、つねに未完成の新鮮さを保っていたように思う。

湯川さん自身はそれが気に入らないのか、残したい本は一冊もないと言ってお

られた。」

 湯川書房の本について、このように評することができるのかと、驚きを持っ

て読むことにです。(このくだりは何度か読んでいるはずですが、あらためて

感心しました。)

 上に続いてのところでは、当時塾の講師をされていた山本善行さんと三人で

話をした時の話題になるのですが、湯川書房主が、山本さんに言われたことを

記録しています。

「湯川さんが、ソムリエ氏(山本さんのこと)に向かってしきりと『塾をいっ

しょうけんめいやらなあかん』と繰り返していたのが印象に残っている。

出版や古本にうつつを抜かしていてはあかんのや、まっとうに生きなさい。

湯川さん自身を振り返っての戒めだったのかもしれない。」

 2008年7月23日の記載となりますが、そのすこし前7月11日に湯川さんが亡く

なったことを受けての記事でありました。

 古本ソムリエの山本善行さんは、その後、京都で古本屋を開業され、今回こ

の本を購入したのは、山本さんの善行堂からでありました。

畜生のやることだから

 最近にネットで話題になったことのことを思っていましたら、それについて

ネットとは違った角度から記している方がいらして、当方はむしろこちらの方に

共感を覚えたのであります。

 話題になったのは、帯広で行われたばんえい競馬への出走登録をかけた能力

検査のレースで力がでなくて前足が立たなくなった新馬に激を飛ばすために、

騎手が馬の顔に蹴りをいれたのが動画で流れたのを見ての反応でありました。

 当方は、このネットの反応のことを見たときに、ばんえい競馬とか農耕馬と

人との付き合い方を知らない人が、このような反応を示すのであるなと思った

のでありました。なかなかこの騎手を公然と擁護するというのは難しいことで

ありますが、ある程度、ばんえい競馬とか農耕馬と人との歴史をおさえた上で

これについて誰かいってくれよと思ったことです。

 農耕馬とか乳牛というのはペットではありませんので、日頃どんなに飼い主

が愛情を注いで育てたとしても、ここぞというところでは非情にならざるを

得ないものでありまして、乳牛であれば乳量が落ちましたら廃用牛として売ら

れていきますし、農耕馬も役にたたなくなれば売られていくことになります。

もちろん、そのあとは肉となるのですが、それが家畜としての動物の運命で

あります。

 当方が高校生くらいの時までは、まだ農耕馬がそこそこ田舎では飼われて

いましたので、田舎のお祭りなどではばんえい競馬が開催されました。

その日には、ばんえい競馬のために馬を育てているひとが北海道のあちこち

から馬を連れてきて、田舎ばんえい競馬に出走させたのでした。(もちろん

馬券はなしです。)

 農家のおばさんなども見物に来ていて、ほんと馬いじめだわとか、畜生の

やることだからねといってレースを楽しむのでした。

生産者のおじさんたちは、自分の育てている馬を大きなレース(あちこちの

市営ばんえい競馬)に出走させるのが夢でありまして、そのために日頃から

のトレーニングを積んでいるのでした。

 当方が見に行った田舎ばんえい競馬(ばんば競争といっています)と、そ

うした公営競争とはレベルが違うものでありますので、田舎のレースでぶっち

ぎりで勝利をおさめるような馬は、あれは次回の能力検査にでるんだってさと

いう声が聞こえ、どうりでねという言葉がかわされるのでした。

 ということで、先日のネットで話題の能力検査というのは、手塩にかけた

馬にとって、肉になるか競走馬になるかの境目のレースで、本当は馬にとって

も、生死をかけた戦いなのですね。ところが、なんということか畜生である

悲しさ、馬はそのことが理解できないのであります。

 そのことがああいう形で騎手から表現されるのでありまして、生産者も

それから馬を預かる調教師さんも、馬の生死をかける戦いのときにどうすれ

ばいいのでありましょう。

 心肺停止状態にある人に胸部圧迫して人工呼吸をするときは、肋骨が折れる

ということを恐れることなく強く押してくださいと言われたことがあるように

思いますが、それと同じように当方は感じたりです。

 もちろん動物愛護という観点からは、動物に服を着せたり、鞭をいれて走ら

せたりしないということもありでしょうが、その場合は競馬などは成立しない

ことになりです。

 ちょっと前までの人間の親たちは、自分の子どもに体罰というのは当然と

思っていて、学校などでも教師に対して子どもが悪ければどんどんなぐって

くださいというふうにいっていたはずです。もちろん軍隊にはいっても下っ端

は殴られつづけたわけですね。

 人間についてはさすがに状況は変わってきましたが、これから競走馬と育成

者の付き合いは変わっていくのでありましょうか。

 ちなみに当方が目にしたのは、以下のブログでありまして書いているのは

大月隆寛さんです。

king-biscuit.hatenablog.com

本日のそこそこ収穫

 本日の午後に買い物にでたついでに自宅から遠いほうにあるブックオフ

立ち寄ることになりです。先日に近い方のブックオフでそこそこ収穫があり

ましたので、柳の下にどじょうで、今回もとスケベ心でありました。

 結果としては、文庫本一冊を購入するだけでワンコインの予算でおつりが

きてしまいました。しかし、その一冊はまずまずの収穫でありました。

 その昔にどなたかが古本屋を歩いていて野坂昭如さんの文庫本が見つかっ

たら、買うようにしているのだが、最近はあまり見かけないと書いているの

を目にしたことがあります。

 野坂昭如さんクラスでありましてもそうでありますからして、他はおして

知るべしですね。

 現存の作家さんでありましても、文庫となって新刊で流通していたのが、

品切れになったら、古本でしか購入できなくなって、当方の住む町でありま

したらブックオフで探すしかなくなります。(アマゾンの古本で買えばいい

といわれそうですが、自分でみつけたいじゃないですか)

 けっこうたくさん文庫がでているはずなのに、探してみるとブックオフ

はそんなに見つからないというのは、当方の好きな作家さんでいきますと、

絲山秋子さん、西村賢太さん、そして辻原登さんでありますね。

 そんなことはないだろうでありますが、あるのは同じ本ばかりでありまし

て、それを外すとないですよね。

 ということで、本日のそこそこ収穫となる文庫本は次のものでありました。

百合の心・黒髪 その他の短編 (講談社文庫)

百合の心・黒髪 その他の短編 (講談社文庫)

 

 アマゾンとのリンクはKindle版でありますが、もちろんこれの元版となり

ます。元版(単行本二冊をあわせて再編集で一冊としたもの)は2004年1月

ということですから、ずいぶんと前にでたものです。辻原登さんは、芥川賞

を受けた「村の名前」は読んだのですが、それからはしばらく手に取ること

がなくて、2005年の「枯葉の中の青い炎」を新刊で購入してから過去の長編

を買い集めるようになりました。

 物語性の強い長編から読んだこともありまして、2004年に文庫化された

「百合の心・黒髪」はおいていかれることになり、そのせいで、こんどは見つ

けにくい文庫本となってしまったわけです。

 本日は、この文庫から「黒髪」を読んでみましたが、当方の読みはちょっと

先を急ぎすぎでありまして、これではまったくだめであります。

カバーには「黒髪」はブッキッシュな作品とありまして、仕掛けなどを楽しむ

ものであるのに、筋をおってどうするのであります。まあ、最後まで流して

読んでみましたら、これで落ち着いて作品を楽しむことができそうな感じにな

りました。

 「黒髪」というタイトルで、その書き出しのところのエピソードと、そのあ

とに続くくだりがどのように関わっていくのかですが、そこがブッキッシュと

いわれるところで、途中で後藤明生さんの名前がでてくるところでは拍手した

のですが、まるっきり仕掛けがわかっておりませんです。

サーカスの本

 休みが続くので、普段よりも時間に余裕があるのではないかと分厚い本を

何冊か図書館より借りたのでありますが、まったく手に取ることもなしに

終わりそうな本もあることです。

 そんなことを思っていましたら、先日に届いた岩波「図書」に借りている本

に関連する文章がありまして、これを目にしますと、すくなくとも読まなくて

もページはめくらなくてはと思いましたです。

 「図書」に掲載の文章は大島幹雄さんの「希望のクラウン」というものであ

ありまして、大島さんでありますのでクラウンというのは自動車の名前ではあ

りません。大島さんの文章から引用です。

「日本ではあまりなじみのなかったクラウンという言葉が、本来の道化師を意

味するものとして、新聞や雑誌の中で見られるようになるのは、1980年代に

入ってからだ。」

 「希望のクラウン」というのは、道化師のことでありまして、特にサーカス

で活躍する道化師のことはクラウンと呼ばなくてはいけないとあります。

 当方の世代は、70年代に山口昌男さんによってこのあたりのことを教えられ

て、サーカスに興味を持ったのでありますが、それ以降いまに至るまで、ほとん

どサーカステントに足を運ぶ機会がないというのが残念な限りです。

 ほんとにブッキッシュなサーカスファンでありまして、図書館などでもサーカ

スという題名が目に入りますと、ついつい手がのびてしまうのですが、これが

まためっちゃ難しい内容であったりするのですよね。

 ということで、図書館から借りている「文化空間のなかのサーカス」のまえが

きと訳者あとがきくらい目を通してみましょうぞ。

日本の道化師: ピエロとクラウンの文化史 (974)

日本の道化師: ピエロとクラウンの文化史 (974)

  • 作者:大島 幹雄
  • 発売日: 2021/05/18
  • メディア: 新書