何年かかるのか

 いったいいつまでかかるのかわからないのでありますが、みすず書房から

でた「ヨーロッパ戦後史」を図書館から借りて読んでいます。

ヨーロッパ戦後史(上)1945-1971

ヨーロッパ戦後史(上)1945-1971

 

  年内には上巻の最後のページにたどりつけないかと思いましたが、これがまる

でだめでありまして、二段組の570ページのどこまでいくことができるでしょうか。

まあ、何年かかっても最後までページをめくるようにしますよ。

 それにしても、日本流にいえば当方より学年で3つ上なのでしょうか。2010年

には亡くなってしまったのですが、自分とほぼ同時代人と思いますと、自分の生き

てきた時代は、このように描くことができるのかと思うことです。

 たとえば、次のようなくだりであります。

「西側知識人たちの共産主義熱が頂点に達したのは、『グーラッシュ(ハンガリー

シチュー)共産主義」や『人間の顔をした社会主義』が唱えられた時期ではなく、

むしろ共産主義体制が暴虐の限りをつくした1935ー39年と、1944ー56年の期間

だった。

 作家や教授や芸術家や教師やジャーナリストがしばしばスターリンを礼賛した

のは、彼の悪行にもかかわらずではなく、彼の悪行のゆえにだった。

スターリンの手の届かぬところにいた人たちが彼および彼に対する崇拝へと誘われ

たのは、彼がまさに工業的規模で人びとを殺害し、見せしめ裁判がソヴィエト共産

主義をこの上もなく恐ろしいドラマとして上演していた時期だったのだ。」

 この章の注には、次のようにもあります。

「同様にして、西欧における毛沢東崇拝が頂点に達したのは『文化大革命』の最盛

時で、毛が作家、芸術家、教師たちを迫害していたまさにその時、まさにそのゆえ

のことだった。」

 スターリン崇拝は当方にとっては、同時代とはいえないのですが、スターリン

呪縛は、オールドマルキストたちにとって、ひどいトラウマになっていたはずで

あります。いわゆる新左翼といわれる人たちのスローガンは、「反帝反スタ」と

いうものでありましたからね。

 ちょうどそうした新左翼が活躍していた時代の中国では毛沢東崇拝が起こってい

て、フランスでいきますとゴダールの映画などもそれに影響を受けたものがありま

した。日本でもファッションとしての毛沢東スタイルは、そこそこ受け入れられた

のではないかと思いますが。あれは思想ではなく、あくまでもファッションですね。

 毛沢東が亡くなったことを伝える北京からの放送は、その中国語のアナウンスが

耳に残っています。(毛沢東は亡くなったとだけ伝えたのですから。)

  ポルポトの時代をすごいといった人もいるでしょうし、金日成の共和国を、地球

上の理想社会の実現といっていた人たちもいることでして、ほんとうにこういう時

代があったのでありますよ。

ネット通販一人勝ちかな

 12月の初めころには大きな街にクリスマスギフトの買い出しに行くというの

が、ここ何年かの行動パターンでありましたが、その街は全国でも一番という

くらいにコロナがはやっていまして、出入りはしないほうがよろしいといわれて

います。二週間はこのような状況が続くとしたら、買い出しに行くのはためらわ

れることです。

 その時に購入しようと思っている本も、これはだめですので、別の方法を考え

なくてはなりません。その昔に行きつけの本屋さんというのがあった時代には、

急ぎませんのでといって、本屋さんで注文したものですが、行きつけの本屋さん

を失ってからは、本を注文するということがなくなってしまいました。

 となるとくやしいけどもネット通販でありますね。すぐに読むことができるか

どうかわからないけども、ちょっと値段が高いチャトウィン伝などは、すこし

気が大きくなる12月にむけて、来年の手帳リフィールとあわせて確保しましょう

か。

ブルース・チャトウィン

ブルース・チャトウィン

 

  それにそろそろ「本の雑誌社」から坪内祐三さんの「文庫本千秋楽」がでるで

はありませんか。ほんと書評などで取り上げられているものを書店で手にするこ

とができないというのは、さびしいことでありますね。

 最近に買った本はほとんどがブックオフのものでありまして、昨日に話題に

した西村賢太さんもそうでありますが、一般書店よりも買いたいと思う本がある

ようです。

 先日に西村さんとあわせて購入したのは、中公文庫の肌色背表紙のものであり

ました。

イスラーム生誕 (中公文庫BIBLIO)

イスラーム生誕 (中公文庫BIBLIO)

 

  その昔は、プレミアムでもなんでもなしでこのようなものが文庫本であった

のであります。その時には、まったく興味もなかったのでありますが、年齢を

重ねたせいか、それともこれらの本で取り上げられている内容が、今の時代に

もなお避けてとおることができないからでありましょうか。

本日持参した本

 本日は年に一度の健康診断でありました。バリューム検査はないものの、

血液とかの検査がありますので、昨晩から絶食して臨むことになりです。

密になるのをさけるために、時間差で集合時間を指定されます。

 当然のこと検査の間に待ち時間があるだろうということで、薄い文庫本

を持参することになりです。昨日にブックオフで購入した次のものです。

暗渠の宿 (新潮文庫)

暗渠の宿 (新潮文庫)

 

 西村さんの初期作品集となります。中毒性の強い西村作品ですが、作中の

主人公にはほとんど感情移入ができないのでありますが、読んでしまうのは、

当方の場合においては、ただただ作中の主人公が藤澤清造の全集を刊行する

ために、ものすごい情熱を注いでいるからであります。

 ほとんど偏執的に資料収集をしているのですが、これがコレクターの生態

を描いているように思います。西村さんの藤澤清造ものの収集ぶりがわかる

くだりを引用です。

 上野の聚楽のネオンの真下あたりのスペースでやっていた古書展のような

ものに行きあったときのことになります。(「暗渠の宿」からの引用です。)

「比較的近代文学関係の本が点在している棚にぶつかったが、その真ん前に

は最前からひとり、背の高い、ジャケットを着た五十がらみの男がたちふさ

がり、棚から抜いた本を何やら仔細げに読み耽っている。・・・

 その男の立ちふさがっているところの本は、やはり見づらい。ならば別に

そこを飛ばして次の棚を見にいってもいいはずなのに、そうなると何かこの

死角に、清造の『根津権現裏』の署名本が、ひっそり隠れているような気が

してくる。この署名入りに関しては、大正十一年の日本図書出版刊の、小島

政二郎宛や、刊行の仲介役を担った、いわば献呈第一番本と云うべき三上

於菟吉宛の、それぞれ伏字をも清造が自筆ですべて起こしたものや、大正15年

の聚芳閣版の、先の川村花菱に宛てた・・書き入れ本等、計六冊をすでに架蔵

しているが、これは一冊あればいいと云うようなものではないので」

 「根津権現裏」に藤澤清造が署名をした本が、いったい何冊あるのかわから

ないのですが、それぞれに伏字を藤澤が自筆で起こしているようだということ

から、とにかく署名本をすべて集めたいというのがコレクターでありますね。

 こうなると自分の命よりも大事なのがコレクションとなるはずですが、この

小説の主人公はコレクションにあまり興味のない女性と一緒に暮らしたりしま

す。そのあげくに、次のように思ったりするのですね。

「いつの日か、私との決定的な諍いが起こり、私の留守を狙って逃亡を図ると

き、もしかしたら行きがけの駄賃にかのガラスケースや、私の命と同等の、で

はない。命そのものの清造資料の一切合財を破棄し、粉砕してゆきはしなで

あろうか。

 そんな妄想が膨らんでくる 」

 貴重なコレクションはどこにいったかということでいえば、先日に読んでい

チャトウィンの「ウッツ男爵」はコレクションが姿を消したのですが、やは

り女性がからんでいたように思います。

根津権現裏 (新潮文庫)

根津権現裏 (新潮文庫)

 

 

ぐだぐだと「吉野葛」

 谷崎潤一郎の「吉野葛」は、どのように読まれ、論じられてきたのか気に

なるところです。だからといって、あれこれと谷崎論をのぞいてみることも

なしです。お手軽にウィキで小説「吉野葛」についてのところを見てみたの

ですが、ここには花田清輝への言及はありません。そうなのかな。

 当方が読んでいた中央公論社新書判全集の解説は伊藤整さんでありまして、

伊藤さんは、ひととおり筋のようなものを紹介したあとに次のように書いて

います。

「全體としてこの作品は、吉野の奥の山村の歴史的な美しい分行くを描いた

ものと言ふべきである。

 そして、その点で、これ等一連の小説(春琴抄蘆刈など)には、共通の

構造上の類似がある。それは物語が層をなしてゐるところである。その層は、

常に作者または語り手その人の実在、即ち現在から始まって、次第に過去に

さかのぼり、現在の実在感を過去の物語の実在感へとつなぐ役目をする。

絵巻物の初めが今であり、開くに従って過去へ遡るやうな手法である。」

 伊藤さんは、このように谷崎作品の物語の層を「現在の実在感を過去の物

語の実在感へつなぐ」と表現するのでありますが、この文章のなかでは、谷

崎が企画し、断念した小説については話題にせず、すこし作品が書かれた時

代について言及するのみです。

「大正末期から昭和初年にかけての時代は、社会的にも文壇的にも、新しい

思想が相ついで起り、革命的な混乱が日本文化界にひろがった時であって、

その騒然たる時代の混乱が、美の使徒としての谷崎潤一郎を東京の文化界に

近づかせなかったもののやうである。」

 「吉野葛」が発表されたのは、1931(昭和6)年のことで、それは満州

変が起きた年であると書いているのは花田清輝さんの「吉野葛 注」のなか

であります。

 島田雅彦さんが番組のなかで言っていた「当時の時代背景が南北朝南朝

よりの作品をすすめるを困難にした」というのは、花田清輝につながってい

くのですが、花田の「吉野葛 注」を読んでいましたら、谷崎がこの作品で

言いたかったのは、「こんな時代だから、自天王など南朝に関する小説を

書いて発表するのは適切でないので、そのかわりにこのような作品とした」

ということであるようにも思えることです。

 花田清輝は、谷崎がちょっと視点を変えれば、小説は可能であったのにと

も言っているのですが。

 

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

 

 

わからないのが魅力

 昨日に引き続きで谷崎潤一郎の「吉野葛」話題でありますね。昨日には

島田雅彦さんがTV番組での発言を受けて、そういえば花田清輝さんは、この

作品についてどのように書いていたかなと記して終わったのですが、花田さん

の「吉野葛 注」(「室町小説集」に収録)は思いのほか簡単にでてきました。

  当方の手元にあるのは1973年11月刊行となった元版のほうです。学生であっ

た時に購入したもので、もともとの谷崎「吉野葛」は未読であるのに、花田の

注を読むというのですから、まったく無謀な読書でありまして、わかるわけな

いことです。

 まあそういう時代(あくまでも当方にとっての話)でありました。まわりの

人たちが吉本を読むのであれば、自分は花田を読みましょうということで、そ

のころには小沢信男さんとか長谷川四郎さんのものに親しむようになっていま

したのでね。

 ここのところちびちびと読んでいる坪内祐三さんの「考える人」の長谷川四郎

さんのところにあった、似たようなくだりを引用です。

考える人 (新潮文庫)

考える人 (新潮文庫)

 

 「私はちょっと変わった方向から長谷川四郎に入りました。つまり私が初めて

読んで長谷川四郎の本は『長谷川四郎の自由時間」という雑文集だったのです。

 実は『長谷川四郎の自由時間』はいわゆるゾッキ本で、その頃(私が浪人生

だった頃)神保町や早稲田の古本屋街で、とても安い値段でゴロゴロ転がって

いたのです。その安さにひかれてなんとなく買ってしまったのだと思います。

 それから半年ぐらいたった大学一年の夏頃、その目次を改めて開いて見たら、

驚きました。

 その頃、私は花田清輝の熱心な読者になりはじめていました。イデオロギー

の時代は終わったといわれていたものの、若者は、常に、何らかの思想を求め

ています。」

 ということで、坪内さんはゾッキ本長谷川四郎さんを読むようになって、

その本に収録の花田清輝についての文章で、長谷川さんに興味を覚えるように

なったのでした。

 坪内さん19歳から20歳のことでしょうから、1978年くらいなのでしょうか。

この時代の坪内さんのまわりでは花田も読まれなくなっていたことがうかがえ

ます。そうした同世代の人たちが猫またぎするような作品を手がかりに、自分

を鍛えるというのが坪内流でありましょうか。 

 それはさて、坪内クラスであれば二十歳くらいで花田清輝に取り組んでも、

成果をあげることができるかもしれませんが、当方のレベルでは、最初に手に

してから50年近くになるというのに、いまになってなお跳ね返されているので

した。

 それでもわからないのが花田の魅力でありまして、どうすれば花田の文章を

読めるようになるのだろうかと、読書の腕前(岡崎武志さんの用語です)が

あがることを願いながら、精進を続けるのでした。

 谷崎の「吉野葛」に関していえば、いまこのような評価を受けているのは、

まずは花田清輝が「吉野葛 注」という作品を書いたからで、それに触発されて

後藤明生が「吉野太夫」を書いたからではないかと思うのですよ。

 そしてNHKTVで島田雅彦が谷崎から選ぶ四作品のなかに、これを入れたのも

花田の影響を受けてのこととはいえないのかな。

二十五分で早わかりか

 NHKのTV番組「百分で名著」で谷崎潤一郎の作品が取り上げていて、その

作品を島田雅彦さんが解説しているのを見て、「吉野葛」を読まなくてはと

思ったのは、ずいぶんと前のことでした。

 TV番組のほうは、「吉野葛」の回だけを録画して、これを何回か見ること

になりです。一回分の放送は25分でありますから、25分でこの作品がわかれ

ば、そんな楽なことはなしです。

 そんなことで、この番組のコメント参考に「吉野葛」を読みすすめることと

しました。番組では島田さんが短い作品といっているのですが、短いといって

も、簡単にすいすいとページをかせぐことは出来ずで、いったいどのくらいの

時間手にしていたのでしょう。これまで何度か見ているはずでありますが、ほ

とんど頭にはいっていないのでありますね。

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

 

  当方が読んでいたのは、昭和33年刊の新書版全集でありますが、現在流通して

いる版よりは、ずっと雰囲気は良いものです。

 この作品に限らず、小説の読みに正解はなしでありまして、優れた小説は多くの

読みが可能となるもので、一つの読み方しかできなくて、皆が泣いたとか、感動し

たなんて作品は、たぶん薄っぺらなのでしょうね。

 なんとなくわからないのだけど、また読んでみたいなと思わせるのものを、くり

返し手にすることができれば、それが一番でありますね。

 TV番組で島田雅彦さんが寄せたコメントのなかで一番、参考になったのは、

谷崎が計画した歴史小説はなぜ書かれなかったかということについてのところで

すね。

南朝、花の吉野、山奥の神秘境、十八歳になり給ふうら若き自天王・・・

正史は勿論、記録や古文書が申し分なく備わってゐるのであるから、作者は

ただ與へられた史実を都合よく配列するだけでも、面白い読み物を作り得るで

あらう。・・わたしはこれだけの材料が、何故今日まで稗史小説家の注意を惹か

なかったかを不思議に思った。」  

 作中では作者もこのように書いているのですが、結局は最後のところでは、

「私の計画した歴史小説は、やや材料負けの形でとうとう書けずにしまった」と

書いておわるのです。

「やや材料負け」ではなくて、この作品が昭和6年に発表されていて、当時の時

代背景が南北朝南朝よりの作品をすすめるを困難にしたと、島田さんはいって

いるのですが、そうなのでありましょうか。

 この作品には多くの人の読解がありますので、花田清輝さんはどのように書い

ていたか、のぞいてみることにいたしましょうぞ。